クラブ日誌
2009年12月201012月
今月の日誌 最終更新日 2010年1月31日
ポチくんクラブ日誌1月   1月31日(日)   久しぶりの農園と祭壇のリフォーム            2月1日更新
1月30日(土)
盛りだくさんな一日

1月29日(金)
器のコレクションと集中の練習

1月28日(木)
気に留めなかった病気の兆候

1月28日(木)
ブルーベリーの思い出と本日の収穫

1月27日(水)
獣医を選ぶ権利と義務(3):獣医師に対する不安

1月27日(水)
あれから3週間:今頃は、、、

1月26日(火)
今朝もポチくんを見ました

1月25日(月)
今朝、ポチくんを見ました

1月24日(日)
獣医を選ぶ権利と義務(2):ネットワークの重要性

1月23日(土)
獣医を選ぶ権利と義務

1月22日(金)
最期の医療:しょうたくんの最期
1月21日(木)
今日の収穫と動物病院の不手際

1月20日(水)
あれから2週間


1月19日(火)
今日のお供え器

1月18日(月)
お気に入りの器

1月17日(日)
ゲロッピーとウンウンの跡

1月16日(土)午後
ポチくんが来た?

1月16日(土)午前
ポチくんのいないポチ小屋

1月15日(金)
ポチくんに会いにポチ小屋へ

1月13日(水)
デパートめぐり

1月12日(火)
初七日


1月10日(日)
やりきれない気持ち


1月9日(土)
にぎやかな祭壇


1月8日(金)
捨てられないゴミと後悔
 

1月7日(木)午後
最後のブッブーとお葬式

1月6日(水)夜~7日(木)午前
最後の夜と最後の挨拶


1月6日(水)夜
3回目の呼び出し

1月6日(水)夕方
2回目の呼び出し


1月6日(水)午後
1回目の呼び出し


1月6日(水)午前
診察前と診察中

高度医療施設受診の勧め

虫の知らせ

1月5日(火)午後
虚しい買い物

1月5日(火)
一面真っ白

1月4日(月)
お向かいさんに大興奮


1月
3日(日)
今日も食欲旺盛、元気にお散歩

1月2日(土)
雪と焼きりんご

1月1日(金)
お客様に大はしゃぎ





 今朝のお供えです。
 昨日今年初めて買ったイチゴさんも入っています。
 ポチくんはイチゴさんが大好きでした。



 朝食後にお散歩しました。
 昨年12月30日に歩いた一番外回りのコースを歩きました。
 雪はほとんど解けています。ずっとずっと上り坂が続くのですが、あの時ポチくんは上り坂も元気で上って行きました。
 Oさんの区画の脇道から昭和村ふれあい農園へ入って行きました。久しぶりです。ポチ母は昨年8月を最後にほとんど農園には行っていませんでした。
 そう言えば、1月4日のお散歩の時にポチくんはここから農園へ行こうとしました。「行かないよ」って言ってポチ小屋の方へ誘導しましたが、あの時行かせてあげればよかった。
 ポチ小屋を建てる前からずっと農園に通っていて、草がいっぱいあるのでポチくんにはとても居心地の良い場所であったと思います。もしかして余りたくさん生きられないかも知れないから、行きたいところに行かせてあげようと決めていたのに、どうして行かせてあげなかったのでしょう。余命は短いかも知れないと言う心配はあったものの、まだまだポチくんは生きていると楽観していたので、あまり歩き過ぎると足に悪いと思ったのでした。


 もうブルーベリーやラベンダーはポチの庭に移植したので、畑にはほとんど残っていません。またこの季節はどこの畑も作物があまりないので寂しい風景になっています。




 山側から撮った作業小屋。



 ポチ父とポチ母が畑で作業をしている間は、ポチくんはこの作業小屋の前で待っていました。

 ポチくんが足の手術をする前は、この突き当たりを右に行って、山の中を散歩しました。山を登って行くと、サッカー場があります。

 畑からOさんの区画までの道に少し雪が残っています。
 巨大な足が裸足で歩いているような跡がずっとついていました。
 写真左下がその写真なのですが、わかりにくいので線を引いてみました。それが右下の写真です。ポチ母の足と比較してかなりデカいですよね。何の足跡なのでしょう?
 ポチ母は雪男の足跡だと思います。
 お散歩から帰ってきた後、しばらくポチの庭を歩いて景色をながめていました。ポチくんのお墓の位置をどのあたりにしようかと言う話もしました。
 お庭にいる間、ずっとポチくんがいない景色を寂しく感じていました。
 ポチくんのいないデッキ、ポチくんのいないリビングの窓際。
 ポチ小屋の中に入ってそろそろ帰り支度。
 ポチくんのハウスのお布団は奥の方がゲロッピーで汚れていることに前回気づきましたが、今日はポチくんの足跡のくぼみに気づきました。ハウスの入り口あたりにあるくぼみのアップが右下の写真です。ハウスはこのままここに置いておきたいので、せめて中は衛生的にしようと思ったのですが、ゲロッピーもあるし足跡のくぼみもあるのでお布団カバーは当分替えられそうにありません。
 いつものように昼食後にポチ小屋を出発しました。
 埼玉の自宅に帰ってすぐに祭壇をリフォームしました。
 ようやくえさ皿台を洗ってガビガビになっていたヨダレを落としきれいにしました。
 これを祭壇に使います。えさ皿台の右の穴に花瓶を入れ、左の穴にお皿を乗っけてその上にお供えを乗せました。
 左下が全体像、右下がえさ皿台のアップです。
 えさ皿台の後ろにはミニラックを置いて下段にはおやつのストックを置き、上にはプチポチ(ミントママさん作羊毛フェルトのポチくん)と愛用していたオモチャを飾っています。
 祭壇のリフォームはこれからしばらく続くと思います。

 そろそろ頑張って撮りためた動画を加工してアップしたいと思います。加工の仕方を忘れてしまったみたいなので、また勉強しなおし。
  1月30日(土)   盛りだくさんな一日                1月31日更新
 昨日の夜7時頃にポチ小屋に到着しました。
 夕食を終えたらポチくんの祭壇を作りました。
 写真立てがイマイチなので、また新しいのを買おうと思います。

 今朝のお供えです。
 ドッグフードとりんごさんとヨールグトと焼きたての食パン。

 朝食後、いつものように赤城の農産物直売所へ買い物に行きました。
 今年初めてイチゴを買いました。

 一旦帰宅してポチ父は少し庭仕事。ラベンダーの剪定をしました。左下は剪定前、右下は剪定後。



 お昼のお供えです。
 祭壇に光が当たり、えさ皿に入れたビー玉がキラキラ光ってきれいでした。
 11時頃、蟻塚農園へグリーンアスパラを分けてもらいに伺いました。
 前回15日(金)にポチ小屋へ来た時、一番星のおじさんからお電話を頂きました。先日おじさんが蟻塚農園のご主人にお会いして「1月20日過ぎならアスパラが収穫できるから、伝えておいて」と言われたそうで、それを伝えるために電話して下さいました。
 それで今日蟻塚農園に伺いました。お忙しいのに作業場の上のお部屋に上げて頂いて、また楽しいお話を伺いました。
 奥様が「娘がポチくんに会いたいって言っていたんですよ」と言われたのですが、ポチくんのことを話すことができませんでした。
 しばらくご主人とお話しした後、何とアスパラのビニールハウスを見学させて頂いたのです。
 左下がグリーンアスパラ、右下がホワイトアスパラのビニールハウス内です。
 こんなに密集して植えているなんて驚き!です。
 詳しくは後日「昭和村クラブ」の「蟻塚農園」のページで改めてご紹介します。
 更新したら日誌でお知らせしますので、ぜひ読んでみてくださいね。
 分けて頂いたグリーンアスパラです。ボールペンと比較するとどれだけ太いか
 左下は巨大アスパラ。右下は2Lサイズのアスパラ。
 下の写真は頂いた細い穂先のアスパラです。これを使ってお昼はソーセージとアスパラのスパゲッティ(バターコンソメ味)にしました。アスパラがすごく甘かったです。ソーセージの塩味とアスパラの甘さがうまくマッチしていました。
 夕食はハンバーグだったので巨大アスパラを左の写真のようにして頂きました。
 蟻塚農園のご主人にお聞きしたのですが、レストランではこのような大きなアスパラはこれ自体が一つのディッシュとしてナイフとフォークと一緒に出され、お好みのソースをつけて食べるそうです。
 私達はシンプルにマヨネーズを付けて食べました。ポチ父とポチ母の第一声は「甘い!」。メチャうま!
 大根やきゅうりなどのお野菜は大きくなり過ぎると味がボケてしまうのが普通ですが、この巨大アスパラは半端じゃなくなく味が濃かったです。こういうお野菜はシンプルな料理法が一番。ただ茹でてマヨネーズを付けるのが一番です。
 みなさん、アスパラは根元は切らずに写真のように皮を剥くだけで大丈夫ですよ。もったいないからくれぐれも切らないように!
 午後はカフェレストランやまぼうしへ行きました。
 頼まれていたメニュー表がやっとできたのでお持ちしました。
 昨年の7月からですから半年かかりました。
 右の写真は表紙です。お店に置かれている動物のお人形とお店(ログハウス)の写真を使いました。
 中も裏表紙も可愛いのですよ。とっても気に入っています。後日、「ゲージツクラブ」でメニュー表の全てをご紹介しますので、ぜひご覧になって下さいね。
 やまぼうしのおばさんが「ポチくんは元気?」と聞かれたのでポチくんのことをお話ししました。以前飼われていたゴールデン・レトリバーのベルちゃんが亡くなった時のお話を聞いて涙が出てしまいました。具合の悪くなった時が日曜日で4~5軒動物病院を回ったけれどどこもお休みだったそうです。おばさんはどうしようもなくて車の中で「誰か助けてください。助けてください。」と泣きながら叫んでいたら、どなたかが声をかけてくれて、事情を聞いて近所の動物病院に聞いてみると言って下さったそうです。すると動物病院の先生と奥様が来て診てくださったところまだ息があったので病院まで連れて行ったのですが、その時にはすでに息を引き取った後でした。
 どこもお休みだったのは残念でしたが、せめて最後に良心的な獣医さんに診て貰えたことは、お話を聞いたポチ母としては心の救いでした。
 どうしようもなくて途方に暮れて車の中で「誰か助けて下さい」と叫んでいたおばさんの気持ちが良くわかります。


 やまぼうしを出たのはもう夕方でした。暗くなり始めて山の稜線がオレンジ色に染まっていました。
 ベルちゃんの最期のお話を聞いて、何だかしんみりしていたので、そんな気持ちと同じような山の景色でした。


 盛りだくさんな一日でした。
 夜、ポチくんが見られるかなぁと思って期待していたせいか、何度も何度も目が覚めました。でも、一度もポチくんを見ることができませんでした。ベッドから手を出していればお鼻でつついてくれると期待していのに、つついてくれませんでした。
 私達がポチ小屋に来ているのに、入れ違いでポチくんが埼玉の自宅に帰っているのではないかと心配になりました。
  1月29日(金)   器のコレクションと集中の練習


 今朝のお供えです。
 昨日買ってきた器を使いました。
 水入れに使った器は透かし模様があるものの、白い器はちょっと淡白なのでレースのコースターを敷いてみました。内容は昨日と同じですが、ちょっとゴージャスに見えませんか?
 まっ、とにかくポチくんにはどうでも良いことでしょうが、ポチ母は楽しんでいます。


 サイドボードの中の食器を一部ポチ小屋に持って行ったので少しスペースが余っています。そこに集めたお供え用の器を収納しています。結構貯まってきました。
 昨日帰りにまた池袋の東武デパートに寄って可愛い食器をいくつか見つけました。お会計に列ができていて地下鉄の乗り換え時間30分に間に合いそうもなかったので、今度買うことにしました。それを買ったらもう器集めは終わりにしようと思います。
 一昨日、またアニマルコミュニケーションのトレーニングをしようと思いました。
 なかなか難しいものです。ポチ母は何か夢中になるとかなり集中するタイプなのですが、やることがあって集中するのと、無の状態で集中するのは全く別物だと言うことがわかりました。
 まず最初に心臓の鼓動を意識するところから始まりますが、心臓の鼓動を感じることができません。昼間は何かと色々音が聞こえます。エアコンを消しても外からの音が気になります。この時は、ピーポーと言う音がゆっくりゆっくり遠くから聞こえてきて何かと思えば「美味しいお豆腐の移動販売です」と言っていました。通り過ぎるのを待ちました。あまりにゆっくり過ぎてなかなか通り過ぎてくれません。ようやく音が小さくなってきたかと思ったら、また大きくなってきました。通り過ぎて向こうまで行ったら、今度は折り返して隣の道を通っていました。
 また隣宅のプロパンガスの交換が始まってガチャガチャとかなりうるさくこれもなかなか終わりません。赤ちゃんがいないはずのお隣から赤ちゃんのおギャーおギャーと言う泣き声も聞こえてきました。だれかが遊びに来たのでしょう。20分経ってもお豆腐の移動販売の音が消えなかったので諦めました。
 やっぱり夜でないとダメかなぁと思って、夜ベッドに入ってから集中の練習をすることに。さぁ、と思ってベッドに入ったら、忘れていました。夜は夜でポチ父のバズーカ砲並みのいびきが聞こえるのでした。それでも「集中、集中」と思って心臓の鼓動に集中していたら、3回くらい息をしたところで眠りに入ってしまったようです。
 バズーカ砲でも14年近く一緒に暮らしていると、子守歌代わりになってしまっているのは、あら不思議。
 ダメじゃん!!

 これからポチ小屋に行ってきます。
 ポチくんも一緒に行こうね。
  1月28日(木)   気に留めなかった病気の兆候
 ポチくんの毛が良く抜けるので何だか変だなぁ変だなぁと思っていました。
 昨年11月末のこと、ポチ母が4泊5日で実家に帰ってから埼玉の自宅に帰宅した後、ポチくんにブラシをかけたらものすごく毛が抜けたんです。ポチ父に「私が留守にしていた間、ブラシかけてくれた?」って聞いたら、かけてなかったそうです。それで5日分の毛が抜けたんだと思いました。
 しかし、その後も毎日毎日ずっとずっとものすごく毛が抜けるんです。夏の換毛期と同じくらい抜けました。
 ポチくんは小さい頃は梅雨の時と冬に入る前に換毛しましたが、だんだん年を取るにつれて冬の換毛はほとんど分からないくらいになり、はっきりした換毛は夏だけになっていました。冬はブラシをかけてもチョロっとしか抜けませんでした。
 大量に毛が抜けることは気になっていましたが、気に留めていませんでした。しこりに気が付いたのは12月18日でしたが、脱毛が病気の兆候だったとしたら遅くとも11月の末くらいから既に病気は始まっていたのかも知れません。
 年末にかかりつけのC動物病院へ行った時、「そう言えばシニアになったら年に1回は健康診断を受けなきゃと思っていたのに一度も受けていなかった」と思いました。ポチ父に「今回、何でもなかったとしても一通り健康診断みたいな検査をやってもらおうね」と言いました。
 年に1回でも健康診断を受けておくべきだったのに全然忘れていました。そのこともとても悔やまれます。病気が11月くらいから始まっていたとしたら、それ以前に健康診断を受けていたとしてもひっかからなかったでしょう。でも、やるべきことをやってそれで見つからなかったのならしかたがありませんが、やるべきことをやらないで悪い結果になった場合はとても悔やまれます。
 「脱毛が多くて変だから、病院へ念のため行ってみよう」ってどうして思わなかったのかな。
 12月の初めに行っていたら、紹介先の不手際があったとしても、こんなことにならなかったんじゃないかな。

 最初にしこりを見つけてから日に日に大きく成長していくことが気がかりでした。今年1月2日にポチ小屋へ行った時、ポチくんの体臭が変なのに気付きました。ポチ母は「体臭が変。動物病院の臭いがする。病気の動物特有の臭いがする」とポチ母は何度もポチ父に言いました。今思えば、病気がいよいよ悪くなってきた兆候だったのでしょう。
 人間の病院は消毒薬の臭いがしますが、動物病院は病気の動物の臭いがします。ポチ母は、ポチくんが手術するたびに大学病院の病棟へ毎日見舞いに行っていましたから、病気の動物の臭いは完ぺきに頭と鼻で記憶しています。まさしくその臭いが強くなっていました。この時には1月6日のがんセンターの受診を待つしかなかったので、どうしようもありませんでした。

 C動物病院のA先生ばかり責めることはできないです。
 自分にもいっぱい落ち度がありました。変だなぁと気付いていたのに、それを病気と結びつけることができなかった。
  1月28日(木)   ブルーベリーの思い出と本日の収穫
 今日のお供えです。器は最初から使っていたパステルのプリンの容器。中身はドッグフード、食パン、ヨーグルト、ブルーベリーさんです。
 お供えの後ろに写っているのはポチ婆作の陶器のポチくん。写真をちゃんと見ないで作ったので、ちょっと実物からかけ離れています。ポチ婆にはポチくんの可愛いお尻が強く印象に残っていたのでお尻がすごく大きくなってしまいました。本当はキュっと締まって小さいお尻なのに。それでも、何だか魂がこもっています。ポチ婆が一生懸命作ってくれたものですから。

 ポチくんはブルーベリーが大好きでした。
 埼玉の自宅の庭でもポチ小屋の近くの農園でもブルーベリーを植えていたので、実が取れる時期はいつも食べていました。
 下の写真は2009年7月に農園の作業小屋の前で撮影したものです。畑で採れた大きなブルーベリーをいくつか食べました。ポチ父が収穫した物をビニール袋に入れていると、袋を鼻でつついていました。
 また以前、畑に放した時には、自主収穫していました。ブルーベリーの木が低いので自由に食べられます。放っておくと全部食べてしまいそうでしたから、さすがに途中で止めさせましたよ。
 まだ肩の手術をする前のこと、埼玉の自宅では散歩の後にしばらくガレージに放して好きにさせていました。ブルーベリーの成っている時期はこれまた自主的に裏庭に行って勝手に食べていました。
 上のお供えのブルーベリーは冷凍のものですが、きっと喜んで食べていることと思います。ブルーベリーさん、美味しかったね、ポチくん。
 今日も都内の病院に行きました。10時半の予約だと思って9時半頃出発。電車に乗ってから「あれ、時間は10時半で良かったんだっけ?」と思って予約票を見たら、なんと13時半でした。ボケボケです。そのまま新宿へ行って小田急デパートとミロードで器探し。左の写真が本日の収穫です。ミロードにキッチン用品を中心とした100均ショップがあったんです。左の器とその手前のお皿はセットで105円。全部で420円でした。中央の白い器はすかし模様が入っています。特にデザインが凝ったものではないのですが、大きさがちょうど良かった。今日は11000歩歩きました。病院に着く前にヘトヘトになっていたのですが、こんなに収穫があると精神的に達成感があると言うか満足です。
 後日、動物の輸血について書きたいと思います。今、がんセンターにお礼がてら手紙を書いて頂いた資料をホームページに転載していいかどうか確認しています。返事が来たら輸血のことを書きたいと思いますので、ぜひ読んで下さいね。
  1月27日(水)   獣医を選ぶ権利と義務(3):獣医師に対する不安
 検査(CTもMRI検査も含めて)から治療(放射線治療を除く)まで専門的かつ高度ながん医療が受けられる日本小動物がんセンターに紹介してくれるのであれば、CT検査とMRI検査以外何もできないキャミックを先に紹介する必要は全くなかったと言うことは、1月21日(木)の日誌に書いた通りです。そのような不手際があったために正月休みを挟んで1週間以上時間をロスし、今回のように急にポチくんを逝かせる結果になってしまった可能性があります。
 一方、1月24日(日)獣医を選ぶ権利と義務(2):ネットワークの重要性で書いたようにC動物病院をかかりつけの病院にして良かったと思っていました。
 ならば、何が悪かったのでしょうか?
 C動物病院は複数の獣医さんがいます。

 ポチくんが初めてここにかかった時、5~6年前の話です。この時は院長から若い獣医さんまでレベルが高くて安心してかかることができました。その後、しばらくかからないうちに院長をはじめ獣医さんの顔ぶれが大幅に変わりました。
 初診から2年後くらいに久しぶりにC動物病院にかかった時、初めて見るA先生(今回問題の先生)が担当になりました。C動物病院は最初に担当した先生が休みでない限り、続けて同じ先生が診てくれます。しかし、獣医になりたてと思われたA先生にはとても不安を感じたので、次回からは「○○先生お願いします」と毎回受付で別の先生を指名していました。「A先生は止めて下さい」とは言えませんからね。

 そして今回の話です。
12月18日(金):しこりに気づいた

●1回目受診12月20日(日):A先生

 その後、しこりは急速に成長。

●2回目受診1223日(水):A先生
     →キャミック(CT,MRI検査しかできない)紹介27日(日)CT検査予約

            ↑
 これは不要、この時点でがんセンターに予約を入れていれば、年内の緊急初診枠に入れられたはず。
 
この時、A先生がキャミックを紹介した理由は「大学病院では現在CT検査装置が故障しているので、大学病院でもCT検査の患者さんはキャミックに紹介しているんですよ」と言うことでした。だから、CT検査が終わった後、がんセンターでなく大学病院を紹介するつもりだったのかも知れません。
 

●3回目受診1227日(日)(キャミック検査後):院長→がんセンター紹介1月6日予約
 
    


 さて、今回肩下のしこりで久しぶりにC動物病院にかかった時、またA先生が診てくれました。獣医になりたての頃に比べてずいぶんしっかりしたなぁとは思ったのですが、何となく不安を感じていました。それはポチ父も同じだったと思います。以前のように2回目の時に「○○先生お願いします」と別の先生を指名すべきでした。なぜなのでしょう?12月23日の2回目の診察時、他の先生を指名しようかどうしようか迷ったにもかかわらず指名しませんでした。
 そして3回目の時も他の先生を指名しなかったのですが、たまたまA先生がお休みであったため院長が応対してくれました。午前中にキャミックでCT検査を受け、その結果を持ってC動物病院を受診。院長はキャミックの獣医さんからまだ専門的な説明を受けておらす、画像フィルムを見ても良くわからない様子でした。しかし、それでも院長は「早い方が良い、大学病院は今から予約を取ると2月になってしまうので、がんセンターを紹介しましょう」と言ってくれました。それでお正月休みが明けてすぐの診療日にがんセンターに予約を入れてくれました。

 もし、2回目の受診時にA先生ではなく院長に診てもらっていたら、年内にがんセンターに行けた可能性がありました。
 反対に、私達はがんセンターの存在を院長から聞くまで知りませんでしたから、もし3回目もA先生が担当だったら大学病院を紹介されて、私達はがんセンターを知らないまま大学病院に行くことにしていたかもしれません。だったらアウトでした。ポチくんのこぶは自宅で破裂し、私達は完全にパニックに陥ったでしょう。

 同じC動物病院の中でも担当になった先生によって結果が大きく違ったことが考えられます。
 私達は不安を感じていたにもかかわらず、ポチくんのために信頼できる先生に頼むことをしませんでした。ただ、受付で指名すればできたのに。
 今回のことは、C動物病院のA先生だけが悪かったのではなく、私達飼い主も悪かったのです。このことも悔やまれて悔やまれてなりません。何となく感じる不安、ってやっぱり何か意味があるのです。
 常に念のため、念のため、と慎重に事を選択したら、こんな失敗は避けられたでしょう。

 専門的な高いレベルの問題ではありません。紹介先に不手際があったなんて、お話にならないじゃないですか。
  1月27日(水)   あれから3週間:今頃は、、、
 あれから3週間。
 先週の今日はそれほど時計を見なかったのに、今日は朝から何度も時計を見て「3週間前の今頃は」と思い出していました。
 3週間前の今頃は1回目の呼び出しを受けてがんセンターに行き、ポチくんにDICの傾向が見られ危ない状態に入りつつあることがわかったので、翌日ポチくんが検査を終えて帰宅したらポチ母は外出しないでずっと着いてあげられるようにと仕事とスーパーに行って帰宅する頃でした。
 そしてもうすぐしたら2回目の呼び出しがかかる頃です(これを書いている今は午後4時前です)。

 今日のお供えです。
 ハートのお皿に合わせて一昨日白い器を水入れ用に買ってきました。
 今朝はホームベーカリーでパンを焼いたので、食パンの端とパンくずも入っています。
 ポチくんは焼きたてのパンが大好きでした。ホームベーカリーのふたを開けると下で待ち構えていました。ポチ母は釜で何度かやけどをしたので、ポチくんが下に来ると熱々の釜を落としたらどうしようとすごく心配して、何度も「ポチくんあっち行って」と言っていました。ポチくんは「あっち行って」と言う意味を知っていましたので、そう言われるとちょっと離れてくれました。


 祭壇のスペースに少し余裕ができたので、プチポチくんを置きました。ポチくんの9才のお誕生日のお祝いにミントママさんが羊毛フェルトで作って下さったものです。ずっとバービー人形と一緒に大きなケースに入っていたのですが、一昨日これ用に小さなケースを買ってきました。細いブレーズや首の後ろ模様などポチくんにそっくりです。
 何だか魂が宿っているみたい。
 すごく温かみを感じます。
 昨日の朝、うたた寝中に見たポチくんは向こうの世界のポチくんではなく、単にポチ母の気持ちが表れただけだろうと思います。
 前日まで雪の上を元気に歩いて散歩をしていたポチくんが突然死んでしまったので、死んだポチくんとお散歩してる時のポチくんが頭の中で合体してしまったのでしょう。もう二度と見たくない暗くて憂鬱な光景でした。
 今朝は食事中に寝ませんでしたが、ポチくんが見たかったので朝食後にうたた寝をしようと試みました。しかしその前に少し用事をやって動いていたので体が目覚めてしまいなかなか寝ることができませんでした。少し意識が薄くなったところでふっと一瞬頭に浮かんだ光景は、昔の旅行の写真を加工してパソコンの壁紙にしたものでした。
 これで、うたた寝の時にポチくんを見ても、それは向こうの世界と交信している訳ではなく、単にポチ母の頭にある記憶の断片がそのまま、あるいは何らかの形に変わって見えるだけであろうと言うことが分かりました。
 一昨日、白く光ったポチくんに会えたと思ったのに、あれは向こうにいるポチくんではなかったみたいです。

 昨日、ローレン・マッコールの本に従ってアニマルコミュニケーションのトレーニングをやってみようと思いました。エアコンを消して静かにして、いつもポチくんがくつろいでいたマットの隣に座りました。気が付いたら1時間経っていました。意識を集中する前に熟睡してしまったようです。静かにして座るとすぐに寝てしまいます。ダメじゃん!
  1月26日(火)   今朝もポチくんを見ました


 昨日もまた都内の病院に行ったので池袋で降りて器を探しました。昨日はサンシャインに行きました。右の写真がゲットした器です。3個で315円。東武デパートに寄って、この間買った白いハートのお皿に合わせる水用の器も買いました。その後、帰ろうと思ったらキンカ堂に用事があったのを思い出し、また駅の反対側へ戻りました。結局昨日は16000歩も歩きました。銀座でデパートめぐりをした時はもっと歩いていたと思います。こんな小さな器を探して良く歩くもんだわと自分でも感心しました。
 今朝のお供えです。
 ドッグフード、ヨーグルト、りんごさん、食パンと、盛りだくさんです。色は地味ですが可愛いでしょ?
 お花が大分しおれてきて本数も減りました。籠に入っている方が華やかに見えるのですが、ここで思いきって花瓶に活け換えることにしました。その方が保存液を直接吸えるので残りのお花が長生きするのではないかと思います。そんなところへ昨日またきれいなお花が届きました。
 籠がなくなった分、祭壇のスペースに余裕が出て小物も置くことができました。
 左がリフォーム前、右がリフォーム後。
 まだまだお花がたくさんあるので、リフォーム前後の差があまり良く分からないですね。
 さて、今朝もうたた寝をしていてポチくんを見ました。今日は、朝食を食べ終わった後です。そのまま家事に入ろうかと思ったのですが、うとうとすればまたポチくんが見られるんじゃないかと思って寝てみました。
 今日も見えたのはほんの一瞬でした。昨日は背景が真っ白でも余り良くない印象の光景でしたが、今日はもっと良くない光景でした。雪の上を散歩した時の服装で横たわっているポチくん。しかも背景は暗かったです。そのポチくんは寝ているのか、死んでいるのか、、、
 また合成写真で再現しようと思いました。横たわった写真を探して、過去の写真を昨年の4月までさかのぼってみました。11月、10月、9月と見ていくと、その時はまさかこんなことになるとは思っていなかった自分達とポチくんがたくさん写っていました。幸せそうだし、事実とっても幸せでした。すると、涙が止まらなくなり、ずっとずっと大泣きしてしまいました。
 横向きに寝ている写真はたくさんありましたが、どれも今朝見たポチくんと違います。結局、今朝見たポチくんは寝ているのではなく死んだ時のポチくんであると思いました。

 どうしてこんなポチくんを夢の中で見るのでしょうか。これだったら見ない方が良いです。
 ポチくんが何かテレパシーを送ってきて夢を見たと言うより、これはポチ母の気持ちを映したものでしょうか。誰か夢診断してくれないかな。
  1月25日(月)   今朝、ポチくんを見ました
 今朝、ポチ父を送り出した後、朝ご飯を引き続き食べていた時のこと。いつものように途中で寝てしまいました。今日はトーストを口の中に入れた状態ではありませんでした。残りはコーヒーのみ、後は全部食べきっていました。
 時間は8時過ぎ、フジテレビの「とくダネ!」で小倉智明の声が耳に入ってきていました。
 脳は6割寝て、4割が起きていると言うような状態だったと思います。何やら夢のようなものを見ていました。何を見ていたのか記憶にないのですが、いきなり右の画像のような光景がフラッシュのように見えました。
 ほんの一瞬です。ハっと目が覚め、思わず「ポチくん!ポチくん!ポチくん」と大きな声で名前を呼びました。
 右の画像は、その時見た光景を合成写真で再現したものです。まさしく、こんな感じ。背景は何も見えず、真っ白。ポチくんは幾分透けたような感じで色が薄く、顔の表情が良くありませんでした。
 ポチ母は向こうの世界に一瞬入ったような気がしました。
 なぜ起きてしまったのでしょう。やっとポチくんに会えたのに。夢の続きを見ていれば良かったのに、、、
 先日「永遠の贈り物」と言う本をお友達から送って頂きました。すぐには読めなかったのですが、今日は病院へ行く日だったのでそれを持って出かけ、電車の中、病院での待ち時間、お昼に入ったマックで読み、一気に最後まで読んでしまいました。
 この本を読んだのは初めてですが、この本の著者(ローレン・マッコール)のことは知っていました。前々から興味があったアニマルコミュニケーションの話です。
 日本にいる有名なアニマルコミュニケーターにポチくんとお話をしてもらいたくて、昨年の5月にメールを出しました。結局音沙汰なしでした。実はお友達わんこがそのアニマルコミュニケーターに2回見てもらったことがあり、その2回目の時に話を聞いて、もっと早くにその話を聞いていたら、一緒にポチくんも見てもらえたかも、ってとっても悔しい思いをしました。一昨年の10月に右足をくじいてなかなか良くならなかったので、全身麻酔をかけてまでMRI検査を受けるかどうしようかを相談したかったのです。もう足のことで相談する必要はなくなったけれど、向こうに行ったポチくんとはお話したいので、見て頂けるなら早く見てもらいたい。その日本のアニマルコミュニケーターのホームページでローレン・マッコールの名前を知りました。
 ポチ母は実は読書が苦手です。社会人になってから雑誌以外の本を読んだのは数冊しかありません。それに、最近はかかりつけ動物病院が送って来たお悔やみのカードがきっかけで気力が落ちていたので本はちょっと、、、と思っていました。送って下さったお友達には申し訳ないです。
 今日、読もうと思ったのは出先で待ち時間があるからと、今朝ポチくんを見たからでした。読書嫌いのポチ母が一気に読んでしまったのは、非常にタイムリーだったからでしょう。
 読んでみたら思った通り、動物の向こうの世界は人間の向こうの世界と全く同じなんですね。オーラの泉で聞いていたことと同じ。向こうの世界は楽しくて幸せであること、こちらの世界は修行の場であること、向こうでは同じレベルの魂が一緒に暮らしていること、産まれてくる時には人生の青写真が出来ていること、などなど、みんな同じでした。動物もこちらの世界に産まれてくる目的は修行のためであったとは驚きでした。
 動物の生まれ変わりのサイクルは人間よりも速くて、数週間~数十年と開きはあるけれど概ね2~3年くらい。向こうの世界の動物と交信することはできるけれど、通常は生まれ変わったらもう交信できないらしい。すると、ポチくんとお話できるとしても2~3年くらいしかできないんですね。コミュニケーションの技術を身につけたいです。
 特異なお話だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、「志村どうぶつ園」でハイジさんと言う外人の女性がアニマルコミュニケーションをやっています。ほとんどが生きている動物とのコミュニケーションですが、たまに死んでしまった動物とのコミュニケーションもやっています。ハイジさんの前はジョイス・リークさんと言う女性がやっていました。
 向こうの世界にいるポチくんと会うことはできますが、向こうの生活になじんでからにした方が良いようです。
 お友達わんこからの報告によると、ポチくんはまだ向こうで迷っているようです。本では動物は死を良く理解しているみたいなんですけど、もしかして、あまりに突然のことだったから向こうの世界に行ったことがポチくんはまだ理解できていないのかな? 
 本を読んで少し気持ちが楽になりました。
 興味のある方はぜひお読みください。
 朝食時のうたた寝でポチくんに会えるのなら、これから無理して起きなくてもいいや。
  1月24日(日)  獣医を選ぶ権利と義務(2):ネットワークの重要性
 ハウスにかけてある断熱シート(プチプチシート)は寒い冬にポチくんの体温をハウスの中にためて暖かくするための工夫です。もうこれは外しても良いのではないかと思うのですが、なかなか外せません。これをかけてあると中が見えにくいのです。だから、何となく中にポチくんがいるのではないかと言う感じがします。これを取ってしまうと、ポチくんが中にいないことが丸わかり。だから取れないんです。
 ハウスはこのままここに置いておきたいので、掃除をしてお布団カバーも換えたいのですが、ハウスの壁が黒くなっているのはポチくんが舐めた跡。お布団カバーにしわがよっているのは、ポチくんがそこで寝ていた跡。結局、掃除もカバーの交換もできないで今日まで過ごしています。
 ポチくんがこれまでにかかった動物病院(獣医さん)は以下の通りで、S医院以外は一つのネットワークの中に入っています。これはなかなか良いネットワークだと思います。
 
●S医院(昔のかかりつけ動物病院)
 誤診が続き、血尿を2年間治療するもひどくなる一方だったので、B医院に転院。
 
●B医院
 血尿の原因がわからず、同じ出身大学の獣医師達がやっているC動物病院を紹介。
 
●C動物病院(以降、最後までここをかかりつけ病院としました)
 これまで日誌で書いてきたかかりつけ動物病院をC動物病院と呼ぶことにします。
 C動物病院のオーナーと獣医さんの多くはD大学出身者です。
 肩関節をこわした時に、D大学病院を紹介。
 今回、肩下のこぶの件で、キャミックとがんセンターを紹介してくれました。
 
●D大学病院
 この大学で肩関節固定術と椎間板ヘルニアの進行予防処置を受け、以後、足の調子の悪い時はここにかかっていました。
 
●キャミック(CT検査とMRI検査だけをやる医療機関)
 こぶのCT検査をやってもらいました。
 
●がんセンター
 現在は放射線治療ができませんが(今後導入予定)、がんの検査から治療までをやる医療機関。
 ポチくんはここでこぶの検査をする予定(結果によって治療も)でしたが、容体が急変しほとんど検査できずに逝ってしまいました。
  
 B医院→C動物病院(かかりつけ)→D大学病院
     ↓  ↓
  キャミック、がんセンター
 
 こんな感じで、S医院に見切りをつけB医院に転院したのがきっかけで、C動物病院を中心にポチくんの状態に応じていくつかの医療機関に紹介してもらいました。
 この点では、とても良い病院(C動物病院)をかかりつけにしたと思います。

 かかりつけの獣医さんにどれだけ能力があるかと言うことも大切ですが、全ての領域で長けている獣医さんなんていませんので、自分の範疇を超えた時にはその旨を飼い主に告げ、適切な医療機関を紹介してもらえるか、と言うことも重要ではないでしょうか。
 S医院(お友達がSはサイテーのSじゃないの?と言っていました。確かにそう)は獣医としての能力も低く、動物を可愛がると言う獣医の基本的資質も欠けていました。そして何よりも一番の問題は、自分にできないことや分からないことを隠して、知ったかぶりをして適当に判断して適当にやってしまうことです。おそらく、このS先生は「こちらではわからない」と言ったところで、紹介先を持っていなかったのではないでしょうか。
 このS医院に見切りをつけ転院をするのがあまりにも遅すぎました。
 「この獣医さん、変だよ」とずっと思っていたのに、ポチくんに信頼できる獣医さんを見つけると言う飼い主の義務を何年も怠りました。
 そして、今回も、、、、それが悔やまれます。
                              つづく
  1月23日(土)   獣医を選ぶ権利と義務
 今日のお供えです(お昼ご飯)。昨日買ったお皿と前に買ったぐい呑みです。
 年末に半年分のサプリメントをまとめて買ったばかりでした。手を付けた物の中でポチくんが嫌がらずに食べたサプリメントはご飯と一緒にお供えにしています。このサプリメントは関節用です。ストラバイト結石のサプリメントもチーズ風味なのでポチくんは嫌がらずに食べていました。関節の痛みどめのサプリメントは嫌々食べていたのでお供えにはしていません。さて、残りの未開封のサプリメントはどうしましょうか。白内障の目薬もたくさん残っています。
 
 昨日の「最期の医療:しょうたくんの最期」で書いたS医院の獣医さんの続き。
 このS医院はポチくんの「昔の」かかりつけ獣医さんでした(最近はワクチンとフィラリアの予防薬だけ)。
 まだ生後何カ月かくらいの赤ちゃんの時のことですが、歯垢が気になって歯を診てもらった時、ポチくんがプイと顔を背けたんです。そうしたら先生はいきなりビンタを食らわしました。その時は、それが良いのか悪いのかわかりませんでしたし、あっけに取られて何も言えませんでした。今だったら、ポチ母はそのS先生にビンタをお返しします。
 それ以来ポチくんは、S医院の駐車場に車が止まると、荷台から座席の方に逃げるようになりました。もちろんS医院の入り口でも必死で逃げようとしました。また、一度、ポチ母が徒歩で連れて行った時、診察を終えて出口を出るとポチくんは逃走し(リードのナスカンが壊れていた)、車にぶつかったことがありました。とにかくそこから逃げたいと思ったポチくんの気持ちが良くわかりました。

 ポチくんは最初の春くらい(生後8か月)から下痢ばかりしていました。散歩中、出る物がなくなるまでウンウンを出していました。ポチ母はネットから得た情報でそれを「ウンチマーキング」だと思っていました。でも、どんどんひどくなって血便が出るようになり、そのうち血便と言うより血がシャーと吹き出るようになりました。
 それでS医院に行ったところ「血便は犬には良くあること。心配はない。この子は腸が弱いんだわ。」と言いました。それから今のドッグフードは油で揚げてあるから良くない(そんな訳ないだろう。ローストしてるだけ)と言うのがその先生の持論で、ご飯と茹でたささみをドッグフードに混ぜてあげるように言われそれを続けていました。そしてとにかく太らせるように言われました。太ると腸の膜が厚くなって腸が丈夫になると言う理論です。下痢は完全には治らなかったのですが、確かに白米ご飯とささみで調子が良くなりました。
 実はポチくんが8才くらいになってからやっとわかったのですが、散歩コースのほとんどが農道であったため、農薬や化学肥料が下痢の原因であろうと言うことがわかりました。
 話は3~4才の時に戻り、白米とささみで幾分お腹の調子が良くなったものの、ある時からけいれんが起こるようになりました。それでS医院に連れて行ったところ、「てんかんだわ」と言われ抗てんかん薬を処方されました。実は、ポチ母がネットで調べてわかったのですが、ささみがリンとカルシウムのバランスを崩しカルシウム不足になってけいれんを起こしたのです。それでささみを止めたところ、けいれんが治まりました。もちろん抗てんかん薬も投与を止めました。
 けいれんの問題も解決した頃、ポチくんはおしっこに血が混ざるようになりました。時々、おチンチンから血がポタポタと垂れるようになりS医院に行ったところ、エコー検査をやってもらい尿を顕微鏡で診てもらいました。「尿を検査して結石は見つからないけれど、多分結石だわ」と言われ、結石溶解剤を処方されました。それから実に2年。結石溶解剤をポチくんに与え続けたのですが、血尿はどんどんひどくなり、ついにはおチンチンからの出血が止まらなくなりました。
 新しくできたB医院に行っても血尿の原因が良くわからず、エコー検査がそこではできないと言うことで、同じ大学出身の獣医師のグループでやっている動物病院に紹介してもらいました。その動物病院がそれから最後までかかりつけにしていたところです。そこでエコー検査を行って一発に前立腺肥大症に起因する膀胱炎と尿路感染症だとわかりました。S医院でもエコー検査をやったのですよ。
 そしてS医院から太らせろ太らせろと言われていたので14kgまで体重を増やし、それで良く遊んでいたため、結局肩を壊してしまいました。

 S医院の誤診をまとめると
●本当は農薬による下痢→腸が弱いため、そしてドッグフードが悪いためと誤診→ささみ食を勧める
                →太らせろ、太らせろと言われ、太らせて肩を壊した。
●ささみ食を勧められて、カルシウム不足になった結果、けいれんがおこった→てんかんと誤診
●前立腺肥大症による膀胱炎、尿路感染症→顕微鏡で結石が見つからないと自分でも言ったのに結石と誤診。
                            →その後2年間結石溶解剤を投与し続けた。

 この前立腺肥大症が判明してから、かかりつけ動物病院を変えたわけですが、それは十分に遅すぎました。

 動物病院に対しては飼い主は選ぶ権利があります。獣医師の能力に疑いを持ったら、遠慮せず自ら病院を変えても良いし、他の病院を紹介してもらっても良いし、それはこちらの権利です。
 一方、ペットに対しては、飼い主は信頼できる獣医師を探し選ぶ義務があると思うのです。
 その義務を果たしませんでした。
 そのS医院もそうですし、今回の件(今のかかりつけ動物病院)もそうです。
                                 つづく
  1月22日(金)   最期の医療:しょうたくんの最期
 今日の朝ご飯のお供えです。ドッグフードとヨーグルトと果物はりんごさん。
 ポチ父はこの器が一番良いと言っていました。サイズと形としては一番良いのですが、ポチ母としては派手なデミタスカップが一番好きです。
 このデミタスカップとお揃いのマグカップがあったことをポチ父に言うと、昨日出かける前に「マグカップは買わないように」と言われてしまいました。こっそり買ってこようかと考えていたのですが、先に釘を刺されてしまいました。

 今日は仕事に行きました。帰りに志木の病院に行ったので、またまたサティや丸井などの雑貨屋さんに足を伸ばしました。


 今日の収穫はハート形の小さなお皿。
 明日のお供えに使いましょう。



 ポチくんが使っていた皿台を祭壇に使うつもりなので、そろそろ洗ってきれいにせねばと思いました。右下の写真のようにヨダレでガビガビになっています。
 ポチくんのヨダレは生の体の一部だから、やっぱりもう少し洗わないでおこう。でも祭壇に使う時までには洗わねば。

 ヨダレと言えば、リビングのすぐ外側の廊下にずっと前からポチくんのヨダレの跡がついていて気になっていました。拭き掃除をせねばと思いつつ、もう1年以上経ってしまったかなぁ。もうここまで放置したのだから、今さら拭けません。
 今日は朝から1日めそめそ病でした。やっぱりかかりつけの動物病院から送られてきたお悔やみのカードがきっかけで悔しい思いがぶり返してあとを引いているようです。
 仕事の帰りバス停でバスを待ちながら「ポチくん、お母さんはいつになったらあきらめられるのかなぁ」とつぶやいてしまいました。その後、バスに乗っても涙が止まりませんでした。帰って来てからもずっと泣いていました。
 カードなんか送ってこなくても良かったのに。
 7日の午前、近所のしょうたくんのお母さんがポチくんに挨拶に来てくれた時のこと。ポチくんの思い出話などをされていましたが、やっぱり悔しいしょうたくんの最期の話が出ました。
 数日後、ゴミ捨てに出た時にしょうたくんのお父さんが車で通りかかって声をかけてくれました。ポチくんへのお悔やみの言葉に続いて、やっぱり悔しいしょうたくんの最期の話が出ました。
 最期に受けた医療によって、飼い主の心にトラウマが残ることがあります。
 昨年の夏、しょうたくんが亡くなったことは日誌に書いたのですが、その悔しい出来事については後日書こうと思いながらそのままになっていました。
 しょうたくんのかかりつけの獣医さんの所にはポチくんも時々行っていました。そこは昨日書いたポチくんのかかりつけの動物病院とは別のところです。とりあえずS医院と呼ぶことにしましょう。ポチくんの場合、余りに誤診が続いたため、ここ何年かはS医院に行くのはワクチン接種とフィラリアの予防薬をもらう時だけ(安いから)で、具合が悪くて専門的な判断が必要な時には絶対S医院に行かないようにしていました。つまり使い分けしていました。
 しかし、しょうたくんは最後までS医院にかかっていました。
 しょうたくんは雑種の大型犬、もう15才くらいであまり歩けなくなったのですが、亡くなった日はいつものコースを普通に散歩しました。散歩後急に泡を吹いてけいれんをおこしたので、車にしょうたくんを乗せてS医院に行きました。しかし暑い夏は患者さんが多く、その日も結構待っていたのです。お父さんが先生に具合が悪いから先に診てもらえないかと言ったところ、待っていた飼い主さんが「先に良いですよ」と言ってくれたにもかかわらず先生が「他に待っている人がたくさんいるから順番を待って」と言って診てくれませんでした。
 人間の病院でも「処置や患者さんの具合によって順番が変わることがあります」って張り紙がしてありますよね。車で待っている間にしょうたくんが息をしていないことに気づき、先生にそのことを伝えに行ったところ、ようやく先生が出てきて車まで来てくれたのですが、「あ、死んでるわ。年だからしかたがないわ。」と言ったそうです。その話をお母さんから聞いた時に、ポチ母は何とも言えない憤りを感じました。
 しょうたくんのご両親に対して申し訳ないのですが、S医院の獣医さんの場合、もしすぐに診てくれてたとしても助けられなかったと思います。しかし、結果が同じであっても、最期にどれだけ手を尽くしてくれたかどうかによって、その後の飼い主に与える影響は大きく違うものになるのではないでしょうか。
 しょうたくんは性格の荒い子でした。予防接種に行った時はいつも檻の中に入れられます。檻に入れた後、檻の一辺が動いて動物を檻の端っこに固定するものです。その檻に入れる時、しょうたくんはいつもS医院の獣医さんに足で蹴られて入れられていたそうです。
 その獣医さんは、何で獣医になったのでしょう? 動物が可愛くないのなら、そんな仕事しなくてもいいのに。
 動物病院の選択、獣医さんの選択について、考えさせられます。
  1月21日(木)   今日の収穫と動物病院の不手際
 外出が続いているせいか疲れているようです。朝ポチ父を送り出してから朝ご飯を食べながら寝てしまいました。食べながら寝ると言うのは良くあることですが、今日はちょっとひどかったです。20分くらい寝てハっとして起きて口の中にたまっていた食べ物をモグモグしたらまた寝て、、、、を繰り返して結局1時間ほど寝てしまいました。トーストをかじってから飲み込む前に寝てしまっていたのです。
 今日もまた大学病院に行きました。その帰りに池袋のパルコなど地下の商店街を色々探してみましたが、気に入った器は見つかりませんでした。諦めて東武東上線の乗り場に向かっていたところ、地下通路の雑貨屋さんで写真のような可愛いガラスの器を見つけました。
 イチゴとイチゴクリームとハートチョコレートの模様が付いています。ちょっと女の子チックですが、ポチくんは元々オスオスしてる子ではなく、むしろニューハーフ系だったので、結構ポチくんの雰囲気に合っているのではないでしょうか。
 明日はこの器をお供えに使いましょう。

 結構疲れていましたが、気に入った器を見つけるまでは、、、と夢中で歩いていました。雑貨屋さんで器を探すのは楽しいです。ポチくんもこんな感じだったのでしょうか。体の調子は良くなかったけれど、美味しい物を目の前にしたらモリモリ食べ、お散歩に出たら体の不調を忘れて楽しく歩いていたのかも知れません。
 今日の祭壇です。右端のユリは頂いた時は全部つぼみだったのですが、つぼみは一つだけになり他は全部大きく開きました。
 お花は少しずつ元気がなくなってきました。そのことからも、あれから日が経ったことを実感させられます。

 さて、18日(月)に病院から帰ると、かかりつけの動物病院からお悔やみのカードが届いていました。
 院長、問題の獣医さん、その他動物看護士2人の方がカードいっぱいに書かれていました。みなさん、「ポチちゃんはがんばりました。○○さんのお家で幸せだったと思います」と言うような内容でした。とても一生懸命書いて下さったことが良くわかりました。
 でも、思い出すと悔しいからすぐにカードを封筒にしまいました。
 しかし、そのカードを昨日つい読み返してしまったのです。それがきっかけで悔しい思いがぶり返してきました。今日も病院へ行く電車の中で泣いてしまいました。
 
 かかりつけ動物病院では、医療機関の紹介に関して不手際がありました。
 そのために適切な機関へ行くのが年明けになり、少なくとも1週間は時間をロスしました。
 そのいきさつは以下の通りです。

1218日(金):しこりに気づいた

1220日(日):かかりつけ動物病院受診:A先生

 この後、しこりは急速に成長。

1223日(水):かかりつけ動物病院再度受診:A先生
     →キャミック(CT,MRI検査しかできない医療機関)紹介27日(日)CT検査予約

            ↑
    これを飛ばしてがんセンターに直接予約を入れるべき

 

1227日(日):キャミックでCT検査

               

       検査結果を持ってかかりつけ動物病院受診:院長→がんセンター紹介1月6日(水)予約

16日(水)がんセンター受診
 この日1日で、血液検査、エコー検査、細胞診、病理検査(結果は1週間後)、場合によってはCT検査の追加、などをやる予定でしたが、急変してほとんどできず。これが1週間早くできていれば、、、、

 がんセンターを紹介してもらった後になって、がんセンターでもCT検査ができることがわかりました。がんセンターでCT検査ができるのなら、わざわざキャミックに行く必要はありません。キャミックはCTとMRI検査以外何もできないのですから。
 院長ががんセンターに予約を入れてくれたのは27日(日)、この時点で年内の初診枠(水、木、金)の残りは1日か0日。年内に予約を入れられる状況ではありませんでしたが、「緊急」と告げて年始一発目の診療日に予約を入れてくれました。
 だったら、23日(水)の時点であれば、何とか年内に予約を入れられたはず。従って年内にCT検査、血液検査、エコー検査、細胞診、病理検査の全てが行えたかも。
 A先生の頭には十分に「悪性腫瘍」と言う言葉が浮かんでいたのに、なぜCT、MRI検査以外何もできないキャミックを紹介したのでしょうか。今考えるとその意図がわかりません。 
 私達が「がんセンターでもCT検査ができる」とわかった時点では「事、既に遅し」でした。もう、1月6日の予約を待つしかなかったのです。ですが、その時はこんなことになるとは思っていなかったので、それほど重大なミスだとは思いませんでした。
 がんセンターによると、細胞検査や病理検査ができなかったけれど、おそらく血管肉腫の可能性が高かったと言うことでした。ならば、ポチくんは結果的に余命は短かかったと思います。だけど、紹介先が適切であればこんなにもすぐに逝ってしまうことはなかったのではないでしょうか。年内にがんセンターを受診できていれば1週間は時間をかせげました。だったら血液を確保する余裕もあったかも知れません、、、、、、、、、、、と、考え始めると悶々とするばかり。
 「がんセンターで受けた医療に対しては悔いが残りませんが、かかりつけ動物病院に対しては不満があります」と書いたのは、こういうことです。
 言ったところでどうしようもないと思っていましたが、送られてきたお悔やみのカードを読んで、A先生は何が良くなかったのか何も気づいていないのだろうなぁと思いました。「言ったところでどうしようもない」と諦めなければならないのは動物だからでしょうか? 専門的なレベルの高いところでのミスを言っているのではありません。極めて低いレベルでの判断ミスではないでしょうか。
 どうか、また同じことを繰り返しませんように。

  1月20日(水)   あれから2週間
 今日のお供えの器です。
 18日にメトロポリタン(池袋)の雑貨屋さんで買った物です。
 外側は白、内側は金色です。お弁当に入れるアルミのギザギザの入れ物、とか、カップケーキのギザギザの紙に似ています。でも、完全な陶器なんです。このままお弁当箱に入れられる大きさです。こんなに小さいのに1個700円ちょっとしました。
 隣に見えるのは「しあわせのいちごパイ」。この間、ポチ父の姉がお花券と一緒に送って下さったお菓子の一つ。地元のオランダ家と言う美味しいお菓子屋さんのお菓子です。良くここのお菓子を送って頂くのですが、どれもこれも美味しくて大好きです。このしあわせのいちごパイはポチくんをイメージして選んで下さったそうです。
 今日も都内の大学病院の歯科に行きました。
 帰りにまた池袋の東武デパートに寄って右の写真のフォトフレームを買いました。
 この間、デミタスカップを買った時に隣の売り場で見つけてとても気に入ったのですが、結構お金を使ってしまったのでまた今度と思って買わなかったのです。
 結局2日後に立ち寄って買ってしまいました。可愛いでしょ?
 フォトフレームはこれくらいで終わりにしましょう。
 お供え用の器はまた出かけた時に色々探して可愛いのを集めたいと思います。
 明日も大学病院に行くので、今度は池袋のパルコに寄ってみようと思います。
 ポチくんが旅立ってから2週間が経ちました。
 2週間前の今頃、ポチくんを家に連れて帰った直後で悲しみに暮れていた頃です。
 1週間前の今日は、何度も何度も時計を見て「先週の今頃は、、、」と思い返してばかりいましたが、今日はそれほどではありませんでした。
 この1週間も早かったです。早かったと言うより、やはり何日か日が抜けたような感じです。
 この調子だと月命日はあっと言う間にやってくるでしょう。
 時間が経てば経つほど、ポチくんが遠くなってしまうような気がします。
 家の中にはポチくんの気配が全くしません。
  1月19日(火)   今日のお供え器                1月20日更新
 今日のお供えの器は昨日買った金箔入りのぐい呑みです。これはお水用で、ご飯用には良いのが見つからなかったので家にあった薬味皿にしました。写真は朝ご飯のお供えです。ドッグフードとヨーグルトとキーウィです。
 我が家の朝食はいつもパン食で必ずヨーグルトも一緒に食べます。ポチくんもヨーグルトが大好きで良く食べていましたから、朝食の支度をしている時にはキッチンの前でヨーグルトを待っていました。
 このぐい呑みに合わせるお皿をまた今度見つけるつもりです。

 今晩の夕食は牛肉の揚げ肉でした。牛肉を料理する時、ポチくんのことを思い出します。恒例になっていた金曜日の夜の牛肉ご飯はいつの間にかポチ母が面倒がって消滅してしまいました。お正月には作ってあげようと思っていたのに、忙しくて忘れてしまいました。それも心残りです。どうして忙しいからまた今度と思ったのでしょう。どうして次の日には作ってあげようと前日に思ったのに忘れてしまったのでしょう。病気が悪いかも知れないと思ってからは、ドッグフードを多めに上げるようにしたし、おやつも頻繁にあげるようにしていたけれど、ポチくんがあんなに楽しみにしていた牛肉ご飯をどうして作ってあげなかったのか、、、、お肉を焼くたび、揚げるたびにダイニングテーブルの周りを大喜びして走っていたのに、5分くらいの手間を惜しんでどうして作ってあげなかったのでしょう。
 揚げ肉を料理しながら悲しくなってしまいました。
 後ろを振り返ってもポチくんはキッチンにはいませんでした。
 揚げ物をしている時は危ないし、ポチ母は時々包丁を落とすので、キッチンに入れさせないようにしていましたが、最後の方は入って来てもOKにしていました。その期待に満ちたお顔が可愛くてずっと見ていたかったから。
  1月18日(月)   お気に入りの器                1月20日更新
 今日は都内の大学病院の歯科に行きました。これからしばらく大学病院通いです。1年半くらい頻繁に歯医者さんに通っていたので、歯科材料に対してアレルギーが起きたようです。今後治療に使う材料が使えるかどうか徹底的にアレルギー検査をすることになりました。時間もかかるし保険がきかないのでお金もかかります。
 先週、銀座のデパートめぐりをして気に行った器が見つからなかったので、今日は池袋に寄って東武と西武デパートで探してみました。東武デパートは食器の扱い量が一番多いです。そこで写真のようなデミタスカップとソーサーを見つけました。とても凝っていて一目ぼれ。






 カップの外と中にお花の模様が入っており、底にはチョウチョがいます。そして持ち手にはテントウムシが3匹。



 お皿もお花とチョウチョ、テントウムシがいます。
 



 お皿の裏にも花の模様が少し。
 すごく凝っているでしょう?



 カップとお皿を別々にして、下の写真のようにポチくんのお供えに使います。
 カップはお水が飲みにくいかもしれないので、上までいっぱいに入れました。
 他に金箔の入ったガラスのぐい呑みも買いました。メトロポリタンの雑貨屋さんでも可愛い器を買いました。最初はどれにしようか迷ったのですが、迷うより全部買って使いまわすことにしました。また後日ご紹介したいと思います。

 このデミタスカップは高かったです。ぐい呑みも。雑貨屋さんで買った器も安いだろうと思って値段を見ずに買ったら結構高かった。
 ポチくんにはどんな器でも関係ないでしょう。彼にとって関心があるのは中身とその量。こんなにチビっとだと、きっと「ちぇっ、これじゃ腹の足しになんないですよ」って言ってるかも。
 お供えした後はただ捨てるだけだから、いつも通りには入れられないんですよ。本当に食べてくれたら、いつも通りたくさん入れてあげますよ、ポチくん。
  1月17日(日)   ゲロッピーとウンウンの跡             1月19日更新
 昨日、ハウスのお布団のカバーを交換しようと思って中を見たら、奥に汚れがあるのに気付きました。
 拡大写真が右です。
 どうやらポチくんはゲロしていたみたいで、黄色い胃液だけ吐いたようです。このような嘔吐は時々あるのですが、いつ吐いたのかな?全然気づきませんでした。
 従って、お布団カバーは交換できませんでした。ポチくんの生の体の一部ですから。
 



 階段下に位置するポチくんのトイレも以前と同じ状態です。
 ペーパーホルダーの上に紙をたたんで置いてあるのは、ポチくんがウンウンの構えをした時にサっとお尻の下に当てがってウンウンをダイレクトキャッチするためです。次のウンウンのための準備がいつものようにしてありました。
 そのトイレシーツの汚れの拡大です。ごめんなさい、こんなもの拡大しなくても良いのにね。
 ポチくんとポチ小屋で過ごした最後の日(5日)、昼食を終えて片づけをして出発の準備をしていた時のこと。
 気が付くとポチくんの気配がしません。とても静かです。気になって探してみました。窓際のマットにもいないし、ハウスの中にもいませんでした。すると、トイレで静かだけど元気モリモリにウンウンを食べている最中でした。ポチ母に見られてポチくんは急いでトイレから出ました。残っていたウンウンを捨てた後、ポチ父に後始末を頼みました。すると、ポチ父はシートについたウンウンを拭きとっただけでシートを替えてくれなかったのです。「え~」と思ったのですが、お互いに忙しいし、また次来た時に替えようと思いました。お父さん、シートを替えなくて良かったです。ポチくんのウンウンはこれだけですから。跡だけだけど、これだけでも残ってて良かったです。ポチ父にこのシートはこのまま捨てないように言ったら、すんなりウンと言いました。

 朝、お散歩に出ました。2人だけです。ポチくんはいません。お散歩バッグも麒麟淡麗の段ボールも持たなくて良い。荷物は少ないです。それでお散歩用に買ってあった杖を持って出ました。別荘地内は勾配がきついので、足腰の悪いポチ母にはこれがあると助かります。ポチくんが一緒の時は持つ余裕がありませんでした。
 5日の朝、ポチくんと最後にお散歩した時と同じコースを歩くことにしました。
 右の写真は共有地(公園)の池です。池に張った氷の上に雪が積もっています。



 しんべヱくんのお家の前でしんべヱくんに会いました。とても元気そうでしたが、足が冷たいらしく時々1本ずつ足を上げていました。雪国産まれのわんこではないので、毛に雪がモロモロと付いています。簡単には取れないそうです。
 足が冷たいせいでしょうか、お父さんに抱っこをおねだり。簡単に脇にかかえられました。


 見たことのない人に会ったため、その人が誰か確認したくて着いて行くことにしました。従って、最後にポチくんと歩いたコースから外れてしまいました。年末にポチくんと歩いた一番外周りのコースを歩きましたが、その知らない人は車だったのでどこかに消えてしまいました。




 途中でハナちゃんに会いました。おしゃれなダウンベストがとっても似合ってます。


 散歩を終えてポチの庭に帰ってきました。
 ここを購入してからすぐにかけた「POCHI'S GARDEN」と言うプレートは小屋の建築中に「S」の文字が取れて行方不明になってしまいました。
 できればトールペイントを習って新しい素敵なプレートを作りたいのですが、それはいつのことになるやら。


 庭の雪景色です。
 本当ならポチくんに自由に走り回らせてあげたかった。両肩を悪くして手術し、椎間板には首から尾まで全てヘルニアがあったので、その夢もかないませんでした。
 自由にしてあげられるのは、デッキだけでした。


 玄関ポーチの上の屋根から下がっているツララです。

 いつものように昼食を終えて、ポチ小屋を出発しました。
 この時、ポチ母はあれから初めてポチくんのいない車のハウスを見ました。
 荷物の出し入れはいつもポチ父に任せていたので、車の荷台を見ていなかったのです。
 空っぽのハウスを見て、何とも寂しい思いがしました。
 埼玉の自宅に着いたら、ポチ父の別の姪のEちゃんからカードが届いていました。Eちゃんはこの間来てくれたIちゃんのお姉ちゃんです。
 ポチ父の姉宅にはチコちゃんとその娘のピコちゃんがいます。ポチくんが小さい時に姉宅に遊びに行き、子供達やわんこ達で一緒に遊びました。もう10年くらい前のことでしょうか。ポチくんがチコちゃんやピコちゃんと会ったのはその1回だけですが、とっても懐かしいです。

 どうしたらポチ父やポチ母を慰めて上げられるのだろうかと考えた結果、動物の気持ちになってカードを書こうと思ったそうです。
 写真を取り入れたり、まるで絵本のようなお話の書き方だったり、Eちゃんにこんな才能があったのかと感心しました。
 10年も経って姪達は大人になりました。小さい時、みんなで泊りがけで遊びに来てくれて、ポチ母は子供たちの小さい洋服を洗濯してベランダに干すのが幸せでした。子供の洋服が並んでいる、なんて幸せな光景なんだろうと思いました。
 一緒にウノをやり、子供相手に真剣にやって「おばさんは意地悪」と言われたことを良く覚えています。
 ポチくんは子供達にずいぶん可愛がってもらいました。
 ポチくんが我が家に来て間もない頃、子供達が遊びに来てくれたのですが、ポチくんは甘え噛みがひどくてみんな怖がって椅子の上に上がってしまいました。もちろん、甘え噛みがなくなってからはみんなと一緒に良く遊びましたよ。お客さん大好き、特に子供が大好きなポチくんは、子供達が来ると大はしゃぎでした。
 カード、ありがとうね。また遊びに来てね。
(カードは了承を得てアップ)

 また、ポチ父の姉からお菓子とお花券も頂きました。今あるお花がしおれたらまた新しいお花をお供えすることができます。
 ポチくん、これからまだまだお花がいっぱいだよ。 
1月16日(土)午後   ポチくんが来た?




 午後、Dさんに頼まれていた名刺とポストカードをお持ちしました。
 最近、Dさんの奥さんは活動範囲が増えたので名刺の消費が早くなりました。
 ご希望だった名刺とポストカードです。
 名刺やポストカードにはDさんの個人情報が載っているので、サンプル用に変更しました。




 Dさん宅で、またまたすっかり話しこんでしまい、帰る頃には暗くなっていました。
 Dさん宅のお夕飯の支度が遅くなってしまったのではないでしょうか。申し訳ありませんでした。

 左の写真はDさん宅を出た時の空です。 
 夜、ポチ母は星空を見ようと思ってキッチンに行ってみたら、お勝手口の外のセンサーライトが点灯していました。「おかしいなぁ」と思ってデッキに出てみると、右の写真のように新しいはっきりした足跡が。
 動物がデッキのところまでやってきたので、センサーライトが反応してついたようです。
 ついさっきそこに来ていた動物は何だったのでしょうか。
 この足跡はウサギではないと思います。タヌキかキツネかな?

 夕べも今夜も星がはっきり大きく見えました。外気温は多分マイナス6℃くらいだったと思います。かなり寒かったです。どれだけ着こんでもデッキで寝ころんで星空観察をしようとは思わない寒さでした。
 空に向かって「ポチくん、ポチくん」と何度か呼んでみました。何も感じませんでした。
 ところが、どうやらその時ポチくんはお庭まで来ていたようなのです。せっかく来てくれたのに、上ばっかり見て気付いてやれなかったことが悔しい。これに懲りずにポチくんは来てくれるでしょうか。
 この写真の足跡はポチくんだったりして。
 ポチくん、会いたいです。ちゃんとご挨拶しないでさよならしたから、もう一度、言え二度、三度、四度、、、、会いたいです。
1月16日(土)午前   ポチくんのいないポチ小屋
 昨夜なのか今朝明け方なのか、ポチくんの夢を見たような、、、、
 夢の中でポチくんがどんなであったのかは覚えていないのですが、「一度会えたからもう十分」と夢の中で言ってしまったことだけ良く覚えています。
 ポチ母はポチくんがこちらの世界でウロウロしていたらなかなか向こうに行けないと思っていたので、一度会えたらすぐに向こうに行って欲しいと思っていました。でも、どうやら向こうとこっちは行き来できるようです。だったら、何度でも会いたい!「一度会えたからもう十分」なんて思わない。ポチくん、お母さんは前言を撤回します。何度でも会いたいわ。
(ポチ母はオーラの泉を見ていたので、あちらの世界を信じています)

 朝起きたら、ポチの庭はきれいな雪景色でした。
 動物の足跡がいくつかついています。一つ(写真右下)はデッキまで来ていました。
 


朝、いつもより遅く出発して、赤城の農産物直売所へ買い物に行きました。
 その帰り、別荘地に隣接するゴルフ場で車から降りてゴルフ場の写真を撮りました。ここはどの季節も美しいです。





 リビングの窓から見たポチの庭。


 その窓の手前に置いてあるポチくんのマット。
 このマットはずっとここに置いておくつもりなので、とりあえずカバーを変えようと思い、同じ布のきれいなカバーを持ってきました。交換しようと思ったら、マットに少しくぼみがありました。ポチくんが寝ころんだくぼみでしょうか。すると、そのくぼみを残しておきたかったので、結局はカバーを変えることができませんでした。


 右の写真は玄関の足洗い場。
 ポチくんが逝ってしまう前の日、すなわちポチくんがポチ小屋にいた最後の日(1月5日)の散歩で来ていた洋服と泥除けエプロンです。
 雪の上を歩いたので濡れているだけで汚れていなかったので、ササっと拭いて干しておいたものです。次に来た時に、そのまま着られると思ったのです。


 左の写真は、麒麟の淡麗のコマーシャルではありません。
 ポチくんがお散歩中、グレーチングを渡る時に敷いてあげたものです。いつもグレーチングをジャンプするので良く足をくじいていましたから。
 これを持って散歩に出るようになってから、お散歩の荷物が多くて大変でした。
 1月5日、お散歩を終えて玄関に無造作に置いていました。

 粉薬の残りと注射器がキッチンに置かれていました。
 こぶの中で出血しているとわかってから、かかりつけの動物病院で止血剤をもらっていました。左のオレンジ色のが止血剤の粉薬です。右は注射器。注射器で1ccほど水を取り、粉薬の袋の中に入れて薬を溶かします。それを注射器で取って食パンに吸わせてポチくんに食べさせていました。この薬は味も臭いもほとんどないみたいで、食パンの味そのものをポチくんは楽しんでいたみたいです。だから、薬付きの食パンを上げようとすると、お皿に入れる前にポチ母の指先から奪い取っていました。
 食パンを食べる様子がとても可愛かったです。
 喜んで食べる姿を見るのが楽しかったです。

 
 農産物直売所から帰って、ポチくんのハウスの横に祭壇を作りました。
 頂いたお花を1つ持ってきました。
 この2つのフォトフレームは13日にデパートめぐりをして見つけたお気に入りです。向かって左の写真は、ポチくんが逝ってしまう前日1月5日の朝の散歩の時のものです。ポチ母が一番気に入っている写真です。雪の上をラッセル走りしてお顔が笑っているのです。向かって右の写真は1月2日、年が明けてポチ小屋に来た最初の日のものです。お天気が良かったので雪が解ける前にデッキに出してあげました。
 ポチくんが使っていた物は何一つ捨てることができないのはもちろんですが、日常で使っていた物を祭壇で使いたいと思いました。
 そこで、皿台をこのような形(写真上)で使うことにしました。右側のボールにはお花のカゴを入れました。左のボールにはビー玉と金魚の水槽用のビーズを入れて上げ底にし、お供えの器を置きました。ビー玉とビーズを入れるのはポチ父のアイデアです。いいでしょ?
 ポチくんが、最後にお向かいのおばさん・おじさんと遊んだおもちゃ(チャタ家から誕生日プレゼントに頂いたもの)も祭壇に置きました。
 祭壇が完成した後、雪上についた動物の足跡を見ようと2階へ上がったところ、お向かいのおじさんがこちらにやってくるのが見えました。
 お悔やみを伝えに来て下さいました。完成したばかりの祭壇を見て頂き、ポチくんの写真に手を合わせて下さいました。
 それからポチくんの思い出話など色々お話しました。おじさんはポチくんの毛が柔らかいのでポチくんを撫でるのが好きでした。ポチくん自身をとても可愛がって下さっていましたし、ポチくんを見てはボレロちゃんのことを思い出していたそうです。
 お向かいのおじさんとおばさんが我が家に遊びに来て下さって、ポチくんと遊んだのはポチくんが逝ってしまう前々日のことでした。おばさんはまた長期外出されたので、あのタイミングを逃すともう会えなくなるところでした。
 ポチくんと私達が週末ごとに昭和村に通うようになったのは4年半前。その後、お向かいさんと知り合って、さらにその後、お向かいさん宅にボレロちゃんが来て、それ以来、ポチの庭に行くたびにお向いさん宅にお邪魔していました。ポチくんがここで一番付き合いの深かったお宅です。
 本当に可愛がって頂きました。
 ポチくんが大好きなおじさんとおばさんでした。

                                                 つづく
  1月15日(金)   ポチくんに会いにポチ小屋へ          1月17日更新
 ポチくんが逝ってしまってからポチくんの気配が感じられません。もしかしてポチ小屋の方へ行っているのかと思って行ってみることにしました。
 荷造りをしている時、ポチくんのお散歩バッグや首輪・リードを持って行く必要がないのかと思うと、とても寂しく感じました。

 夕方、自宅を出発し、群馬県昭和村のポチ小屋へ行きました。
 薄っすら、と言ってもこの冬で一番雪が積もっていました。
 玄関のドアを開け、真っ暗なリビングへ入るときっとポチくんがいる、と思ったのですが、やっぱりポチ小屋にもポチくんの気配は感じられませんでした。
 ポチ父はマットの上にポチくんがいるような感じがすると言っていたのですが、ポチ母には何も感じられませんでした。ポチ母の方がポチ父より霊感があると思うのですが、、、、
 荷物の搬入を終えたらすぐに薪ストーブをたき、また薄くスライスしたリンゴを焼きました。
 今回は電子レンジで使う足の付いた網の上に乗せてみましたが、やっぱり直にアルミホイルを敷いて焼いた方が美味しくできます。

 初めて薪ストーブでリンゴを焼いた時(1月2日)、ポチくんはその匂いがとっても気になってストーブのまわりをウロウロしていました。何とかその美味しそうなものに近づこうとしてストーブの後ろに行こうとしたり、もしかして上につかまり立ちをしそうな雰囲気もあり、ポチ父もポチ母もドキドキハラハラでした。
 リンゴを焼きながら2人ともそのことを思い出していました。
 ポチくんに会えるのは、ポチくんが完全に向こうに行ってしまう前だけだと思っていたので、ポチ母はあせっていました。お友達わんこはポチくんが向こうに行く前からポチくんを見守ってくれて、ポチくんが逝ってしまってからは道案内をしたりお友達を紹介したりしてポチくんの面倒を見てくれているようです。またその子がポチくんの向こうでの様子を知らせてくれています。それでお友達わんこの家に「ポチくんと一緒にポチ小屋へ遊びに来るように伝えて。一度会えたら、もう向こうに行ってもかまわない」とメールしてしまいました。どうやら向こうに行ってもこちらに帰ってくることがあるそうなので、いつか帰ってくるのを落ち着いて待っていれば良いことがわかりました。ポチくんは向こうでたくさんのお友達と一緒に遊んでいるようです。たくさんのわんこと遊ぶのは小さい時以来なので、遊びに夢中になってこちらのことを忘れているのかも知れません。
 ポチくんが現れるかも知れないと思うと、夜何度も目が覚めました。現れた時に見逃してはいけないと思うと、落ち着いて寝られませんでした。記憶があいまいなのですが、ポチくんの夢を見たような、、、、
  1月13日(水)   デパートめぐり                     1月17日更新
 今日は都内の歯医者さんに行きました。
 来週から2月中旬にかけて週に3日、都内の大学病院の歯科に通うことになっていました。
 6日のポチくんの検査の結果によってこれらの歯科通いはキャンセルするつもりでいたのですが、もうキャンセルするかどうか考える必要はなくなりました。本当ならポチくんの病気が大したことなくてお留守番が可能だからキャンセルする必要はなくなった、と言う結果であって欲しかったのですが。
 今日歯医者さんの後、デパートめぐりをしました。松屋、三越、松坂屋、プランタン、丸井。疲れました。
 ポチくんの写真を収める可愛いフォトフレームとお供えを入れる可愛い器を探しました。
 可愛いフォトフレームは見つかりましたが、器はなかなか良いのが見つかりませんでした。また別のデパートに行って探すことにしましょう。
 フォトフレームはまた今度、日誌に載せます。とっても可愛いのですよ。
  1月12日(火)   初七日                          1月17日更新
 早いもので初七日。
 ポチくんが逝ってしまった6日とお葬式をした7日は強烈に記憶が残っています。その翌日も1日どのように過ごしたのかだいたい覚えているのですが、その後、すっぽりと日が抜けたような感覚です。6日7日の長さと比較できないくらい、9日以降は1日がとっても短かったような気がします。
 こんな感じで1週間が過ぎ、気が付いたら1か月が過ぎ、、、、、1年が過ぎて行くのでしょうか。
 捨てられない物は捨てられるようになるまで取っておくことにしました。
 しかし、片づけられるものは少しずつ片づけていくことにしました。
 今日はソファーの横に貼ってあった段ボールをはがしました。
 ポチくんは特に夏場はソファーの下に入るのが好きでした。涼しかったの言うのもあるでしょうが、元々わんこは暗くて狭いところが好きだからでしょう。ポチくんは両肩を固定してあって不自由なので、この狭い隙間からソファーの下に入るのは難しいと思います。それでも彼は一生懸命下へもぐろうとしました。体に悪いのでそれを止めさせるために段ボールで隙間をふさいだのです。それでも何とかはがして中へ入ったことがありました。
 この段ボールの貼り方が何とも貧乏チックですよね。



 左の写真はガムテープに付いたポチくんの毛です。
 何とかはがして中に入ろうとしたためにガムテープに彼の毛が付いていました。

 色々捨てられないのですが、これは捨てました。
  1月10日(日)   やりきれない気持ち                       1月15日更新
 ポチ父のお姉さんと娘のIちゃん(ポチ父の姪)が来てくれました。Iちゃんはポチくんが大好きだった子で、この子が遊びに来てくれた時はポチくんはいつもべったり、そしてうっとりした目でIちゃんを見つめていました。おそらくポチくんにとっては恋人だったと思います。

 さて、ポチくんが旅立ってから長々と日誌を書いてきました。
 ポチくんが辛そうにしているところも、自分が辛かったことも何一つ忘れたくありません。家族の記録として覚えているうちに全部書いておきたいと思いました。
 「関心のない人は読み飛ばして下さい」と書きました。ポチくんが辛そうにしているところは見たくない方もいらしたでしょう。しかし、ポチくんや私達がどうしてこんなに辛い思いをしたのか、やりきれない思いをポチ母は自分の胸にしまったおくことはできませんでした。ポチくんは余り遠くないうちにお空へ旅立つことは決まっていたことだと思います。そのことまでも他人のせいだとは思いません。でも、こんなにも急に逝かせることはなかったのではないでしょうか?ただただ、がんセンターへ直接回してもらっていれば年内には診てもらえたと思うのです。そうすればコブが破裂することはなかったのでは? いずれDICに移行するにしてももう少し遅らせられたかも。
 ポチくんが死線をさまよって苦しんでいた姿、明日の血液をどうしようかと焦って苦しんだ私達の気持、、、、、
 あの人は、そんな私達の苦しみに全く気付いていない。
 
 「高度医療受診の勧め」の最後でこのセンターでの医療に関しては悔いが残りませんでした。
 しかしかかりつけの動物病院に対しては不満があります。それはまた後日記載します。」
と書きました。
 これからポチ小屋へ行く準備をするので、ポチ小屋から戻って落ち着いたらこのことについて書きたいと思います。
  1月9日(土)   にぎやかな祭壇                        1月15日更新





 がんセンターからお花が届きました。
 きれいなお花です。
 このお花だけでなく、頂いたお花はどれも美しく、花と皆さんのお気持ちに大変癒されました。
 ありがとうございました。




 ポチくんの祭壇はにぎやかになりました。
 写真も新しいもの(お空に旅立つ直前の写真)に替えました。
 電話の調子が悪かったので電気屋さんに行って新しい電話ファックスを買いました。
 そのついでに雑貨屋さんや100均ショップに行って、祭壇を飾る小物やお供え用の可愛い食器を探しました。
 食器は良いのが見つからなかったので、当分は今使っているプリンの空き容器を使うことにします。
 お供えは、いつものようにご飯3食、10時半と3時におやつ。夕食後にはデザート。1日6食以上あげています。
 お仏壇のお供えは1日1回なのに、、、

  1月8日(金)   捨てられないゴミと後悔                   1月14日更新
 前の日の夜、ポチ小屋のお向かいさんに電話しました。亡くなる前々日に元気に遊んでもらっていたのですから、驚かれるのは当然です。お互いに涙声になってそれ以上はお話出来そうになかったので、6日にどうなったのか全く話せずに電話を切りました。
 ポチ婆にも電話しました。ポチ婆は元々犬嫌いです。でもポチくんのことは孫のように可愛がってくれました。これで犬嫌いが治ったのかと思いきや、他のわんこはやっぱり嫌いだそうです。ポチくんだけ例外でした。ポチ婆も残念がっていました。ポチ婆があれやこれやと忙しいと言ってこちらに遊びにくるのを渋ることが多かったので、「お婆ちゃんもポチくんも年なんだから、お互いにあと何回会えるかわからへんよ。会える時に会おうとしないと結局会えずじまいになるからね」とポチ母は良く言っていました。ポチ婆はその私の言葉を時々思い出して「ポチとはあと何回会えるのかなぁ」と考えることがあったそうです。
 右の写真はサイドボードの上に作った急ごしらえの祭壇。
 お花が届いたりご近所の方が持って来て下さったりしました。どうもありがとうございました。
 お隣のWさんのお母さんと子供のTくん・Kちゃんがチューリップの花束とビーフジャーキーを持って来てくれて、ポチくんのお骨に手を合わせてくれました。昨日の夜までご実家に帰られていて今朝ポチくんのことを知ってびっくりされたそうです。Tくんはポチくんと同い年。ポチくんのお散歩デビューした11年前の12月19日はTくんのお誕生日でした。
 昨日、他の場所に飾ってあったポチくんの写真立てをここに移してがっくり。いずれの写真も1才以前のものです。どれも写真立てに入れたままこの10年くらい全く入れ替えることはありませんでした。
 
 以前にも書いたことがありますが、見た目の可愛さは子供の頃に勝るものはありませんが、心で感じる可愛さは一緒に暮らした時間の長さに比例します。だから、こうやって子供の頃の写真を見ても何だかピンときません。確かに昔のポチくんなのですが、何だか別犬のような、、、、今の方がもっともっと可愛いのに、、、後で、新しい写真に入れ替えることにしました。



 玄関をふと見るとポチくんのお散歩バッグが置かれています。がんセンターから帰ってきてとりあえずそこに置いたままでした。もう使うことがないこのお散歩バッグはどうしましょう。とりあえずいつものところにしまいました。



 お散歩バッグの中に首輪とリードが入っていました。首輪に着いている左側の水色の札はチャタ家から頂いたポチくんの迷子札です。チャタ家とおソロです。右の肉球マークはチャタ家が送ってくれたペットのお守りです。病院に預ける時に、病院の首輪とリードに交換され、これがはずされたのでお守りの効果がなくなってしまいました。
 そして、玄関の下駄箱前にはポチくんのカートがありました。こっちで使おうと思ってポチ小屋から5日に持って帰って来たのでした。
 自宅の周りの散歩コースはあまりにもつまりません。それで病院から帰ったら、いつもの散歩コースはやめて駅の向こうの公園でお散歩させようと考えていました。そこまでは片道15分かかるので歩かせて行くと帰ってこられません。往復はこれに乗せて公園でいっぱい歩かせようと考えていました。
 ポチくんの余命があまりないかも知れないと言う予感もあったし、たとえ大した病気でなくても寿命はこの先何年もあるわけではないので、できるだけ楽しい散歩をさせてあげたいと思っていました。せっかく持ってきたのに、その翌日に逝ってしまうなんて。
 後悔、後悔、後悔、、、、そればっかり。
 年末は特に忙しくてポチ母はポチくんを放ったらかしにしていました。ご飯をあげて散歩して、それだけ。
 11月12月と週に3日、ひどい時は4日も用事で都内に行っていました。それに週に1日は仕事があるし。そして恒例のクリスマスカード、年賀状作成(これは例年よりもかなり手早く仕上げ)。暮はお節作り、、、、
 とにかく自分でも精いっぱいだったので、いつもポチくんにごめんねと言いながら許してもらい、年が明けて一段落したらべったりポチくんと過ごそう、2階のパソコンの前に座るのはポチくんが寝静まってからにしよう、昼間はポチくんのそばにいようって考えていました。
 お正月休みが明けて、6日の検査が終われば、ポチ母に時間の余裕ができる、それまでごめんね。と毎日毎日言っていたのです。そしてその時間的余裕ができたら大急ぎでお洋服のリフォームもしなければ、着られる回数もどんどん減って行くし、、、
 新しい小さいデジカメは動画も撮れるけれど今は撮っても加工する時間がないから、後でたくさん撮ろうと思っていました。驚異的な早食いの様子もポチ父に負けない大いびきも動画に撮りたかった。加工は後でするにして、撮るだけ撮っておけばよかったのに。それまで撮ろうと思ったことを撮っていなかったことが気になっていて、それが病院にカメラを持って行かせることになりました。それも虫の知らせだったかも知れません。
 休みが明けたら、休みが明けたら、、、、と考えるだけで、ポチくんにほとんど何もしてあげませんでした。休みが明けたら、、、、、ポチくんは逝ってしまいました。
 後悔ばかり。

 今日は可燃ゴミの回収日です。ゴミ箱のゴミを捨てようと思いました。
 昨日、ポチくんの体の一部を保存しておくために、浮き上がった毛を一つかみとおひげを2本ビニール袋に入れて取っておきました。毛はもっと取りたかったのだけど自然に抜ける物以外はポチくんが可愛そうなので切ったりしませんでした。後になってもっと取っておけば良かったと後悔しました。
 そう言えば、一昨日の朝、出かける前にポチ父がモップをかけていたっけ。ゴミ箱にその時に集めた毛があるはずだと思い、ゴミ箱の中をひっくり返してそれを探しました。鼻をかんだ後のティッシュが出てくるわ出てくるわ。ゴミ箱の半分以上はそれでした。何せ2人分の2日分ですから。下の方からようやくポチくんの毛が出てきたのでビニール袋に入れました。それが上の写真の左側。すると、5日の夜にポチくんが舐めたプリンの空き容器も出てきました。これも洗わずに取っておくことにしました(右側)。
いつものようにトイレのゴミ箱に入っている使用済みトイレシーツを捨てようとしたところ、「待てよ、これってポチくんの生の体の一部じゃん」と思ったらトイレシーツも捨てられませんでした。それどころかそれを両手で包んで愛おしく抱いてしまいました(もちろんビニール袋にくるんでありますよ)。そして外水道脇に置いてあるゴミ入れから、キャミックで注射跡に貼られた血付き脱脂綿が出てきました。もちろん、これも捨てられません。ポチくんの生の体の一部が付いている訳ですから。
 これらのゴミ以外のゴミを捨てに外に出たところ、ももちゃんのお母さんに会いました。ポチくんのゴミが捨てられないことを話すと「良いのよ、良いのよ。全部取っておきなさい。そのうちいつか捨てられる時が来るから。その時に捨てれば良いのよ」と言われ、何だかものすごく気持ちが軽くなりました。
 その話をポチ父にしたら「車のハウスを掃除したらもっと毛が出てくるぜ」と言いました。それは良い案です。後で掃除して毛を取っておくことにしましょう。

 お昼頃、ホームページを見た友達が電話をかけてくれました。動物を飼っている人ではないけれど、私の悲しみを理解して話を聞いてくれました。
 あと、心配してメールを下さった方にお返事を書きました。
 するととっても楽になりました。「出す」って大切。
 何日も何日も泣き暮らす日々が続くのだと覚悟していましたが、これを境に午後くらいから余り泣かなくなりました。
 でも、ももちゃんのお母さんが言っていましたが、仕事に行かなければならないポチ父は大変です。職場の人の中でわんこを飼っていない人はその悲しみを理解できないでしょうし、仕事をしなければならないのでポチ母のように「出す」時間もありません。

 がんセンターからお悔やみのカードが届きました。
 人間の医療施設で、残された家族に心のケアをしてくれるところがあるでしょうか。
 動物の医療施設でこのようなところまで気づかいをするところがあるとは思いもしませんでした。
 1月7日(木)午後   最後のブッブーとお葬式                  1月14日更新



 昼食後、ポチくんは運転席の後ろに乗って出発しました。
 出る前に声をかけておいたSさんが待っていてくれました。Kさんと娘のRちゃんも。
 Sさんが読経して下さいました。そして緑の丸い札を頂きました。何と言う名前か忘れましたが、三途の川を渡る時の切符みたいなものです。




 ちゃんと写っていませんが、車が見えなくなるまで見送って下さいました。



 ポチ母は助手席の後ろに乗り、霊園に着くまで隣のポチくんに触れていました。下の写真はポチ母の隣で寝ているポチくんです。もう体が固くなっているので前足が空中に浮いています。
 ポチくんは自家用車の座席に産まれて初めて堂々と乗りました。今までは荷台のハウスがほとんどで、たまに助手席の足元に乗ったことがあります。
 本犬はとにかく座席に乗りたかったようです。
 ポチくんは車のドアが開いていると、勝手に中に乗り込もうとすることが良くありました。放っておくとそのまま座席に上がってしまいます。
 お正月休みにポチ小屋の周りをお散歩していた時のことです。別荘地管理会社の方が車で通りかかったので、その方が車から降りて私達と新年の挨拶をしている隙に、運転席に乗り込もうとしていました。
 以前、肩の診察で大学病院に行った時のこと、ポチ父がお休みを取れない時は朝だけ送ってもらい帰りはペットタクシーで帰っていました。ペットタクシーでは堂々と座席に座ることができます。タクシーに乗り込むと、そのままピョンと座席に乗っかっていました。それがとても嬉しかったのでしょう。ご満悦な様子でした。
 ポチくん、最後のブッブーですよ。しかも座席でねんねしてて良いよ。
 霊園まで1時間弱の間、ポチくんの体の感触を忘れたくなかったのでポチ母はずっと撫でていましたが、時々うたた寝をしてしまいました。ポチくんと一緒にいられる時間はあと少しなのに、寝てしまったことがもったいなくてとても後悔しました。
 ペット霊園に着きました。
 バスケットに可愛いお布団を敷き、お花と持ってきた食べ物をバスケットに入れました。ダメ元でおもちゃも持って来ていたのですが、やはりプラスチックやビニールはダメでした。
 一緒に入れた食べ物は、たくさんのドッグフード(花束の下に見える黒っぽい物)、チャタ家やミント家から頂いたおやつ。ホームベーカリーで焼いた食パン、今朝の仏壇のお供え、焼きりんご。
 何日か前、一切れ上げたら「もういっこ、もういっこ」とポチ母につきまとってお代りをねだった焼きりんご。焦げてないのを取っておいてポチくんが病院から帰ってきたらあげようと思っていたものです。こんなことなら、ねだられた時にもう一つあげておけばよかった。


 火葬場ではゆっくりお別れする時間がないので、受付の隣にあるお部屋でゆっくりお別れをして下さいと言われました。

 首元に見える緑の札はSさんに頂いた札です。
 「ポチくん、ちゅきちゅき」
 ポチ母はポチくんのお顔に頬ずりをするのが好きだったのですが、ポチくんは嫌がっていつも逃げていました。
 今日は何度もちゅきちゅきさせてもらいました。
 ここでどれくらいお別れしたのかな。
 いつまでも触っていたいけれど、切りがありません。どこかで諦めないと。
 ポチ母は「あの世でもこの世でも良いから、また会おうね」と言いました。ポチ父は「絶対虹の橋のたもとにおいでよ。絶対来いよ」と言いました。
 いつか虹の橋のたもとで3人全員で待ち合わせすることを約束してお別れしました。
 住職を呼びに行って一緒に火葬場まで行きました。
 炉の前でもう一度二人とも頬ずりをし、送り出しました。
 バスケットで眠っているポチくんが炉の奥に入る時は何とも心が痛かったです。息を引き取る時と同じくらい、いえそれ以上に悲しかったです。
 午後2時、ポチくんの肉体とお別れしました。

 一番手前の煙突からポチくんはお空に昇り、虹の橋のたもとへと旅立ったのでした。
 1時間後にポチくんが骨だけになって出てきました。仏教ではお骨はただの「物」だそうです。確かに、そのお骨を見た時はガ~ンと来ました。「これはポチくんじゃない。ポチくんの気配を何も感じない。ポチくんはどこかに行ってしまった」
 すごくショックでした。
 しかし、これで「諦めなければ」と言う気持ちになります。
 この世とあの世の間に自分で線を引く踏ん切りをつけることができました。
 3時にはポチくんは完全に空高く上ったはずですが、虹の橋には直行しなかったようで、午後4時くらいにお友達わんこのお家にポチくんが立ち寄ったようです。
 お友達わんこの家では年末から「ポチくん、ポチくん」と心配されてポチくんの話題が多かったせいでしょうか、先に向こうへ行っているお友達わんこが心配してずっとポチくんのそばで見守ってくれていたようです。お空に昇る時におそらく道案内をしてくれたのだと思うのですが、ポチくん一人でその子のお家に行けるはずはないので、お友達わんこが「あっちに行く前にボクんちにちょっと寄って行こう」と言ってポチくんを連れて行ったのではないでしょうか。
 その後、我が家ではポチくんの気配をほとんど感じません(少し感じたことがあるのはおそらく錯覚だろうと思います)。もしかしたらポチくんが「じゃ、今度はボクんちに来る?」って言って、お友達わんこをポチ小屋へ連れて行っているのではないかな?なんて想像しています。今頃、ポチ小屋でお友達わんことポチくんが遊んでいたりして。
 しばらくポチ小屋には行かない予定でしたが、頑張って近いうちに行ってみようと思います。早い時期ならまだポチくんがポチ小屋に残っているかも知れないから。
 ポチくんは知らないところではおどおどするので、道案内にお友達が着いてくれていれば必ずポチくんはお友達に着いて行くはず。おそらくこれからずっとお世話になると思います。よろしくね。
 ポチくん、しょうたくんがいたら目をそらしてお友達の後ろに隠れるんですよ。あと、向こうにはベルくんとサーフちゃんがいるから一緒に遊んでもらえるといいね。サーフちゃん、しかとしないでね。
 帰宅後、急いでリビングのサイドボードの上を祭壇にしました。
 お葬式をすると白い壺にお骨を入れてくれるのですが、希望者は別の壺を購入することができます。カメオタイプの骨壷を買い、こちらにポチくんの骨を入れてもらいました。前足と肩甲骨にぴったり着いていたプレートとビスを外してもらい、それを白い壺に入れてもらいました。
 これでポチくんの肩は元通り自由に動くようになったはずです。
 プリンの空き容器をお供えの器にし、おもちゃや写真、ポチ婆作陶器のポチくん人形、オーシャン家から頂いたポチくんの肖像画プレートなどをサイドボードの上に置きました。

 夢の中で生きていたような2日間が終わりました。
  1月6日(水)夜~7日(木)午前   最後の夜と最後の挨拶    1月13日更新
 自宅に着いたのは6日夜の11時頃でした。
 ポチくんが普段くつろいでいたソファ前のマットに寝かせてあげました。
 この上にはエアコンがあるので暖房を切りました。
 
 下の写真は到着直後です。
 ただ安らかに寝ているようにしか見えません。
 この後の時間は長いようで、短かったような、、、、、
 3人寄り添って最後の本当のお別れをするまでずっと一緒にいました。
 ポチくんは最初に足が固くなり、顔や頭が冷たくなってきました。
 ポチ母の手は何時間もポカポカでしたが、ポチくんの手がキンキンに冷え切ってしまったので、ポチ母の手で温め切れなくなり、そのうち体温がポチくんに奪い取られてとうとうポチ母の手も冷え切ってしまいました。
 首元とお腹は朝方まで温かかったです。
 ポチくんの柔らかい感触を忘れたくなかったので、ポチ父もポチ母もずっと撫でていました。ずっと撫でていたらポチくんがいなくなってもその感触が手に残るのではないかと思いました。
 そのうち、ポチ父もポチ母もお腹がキュルキュル鳴り始めました。お腹が空いた訳ではありません。完全に体が冷え切って2人ともお腹をこわしてしまったのです。
 床にキルティングのシートを敷き、座布団の上に座り、コートーを着た上にフリースのブランケットを巻いて、電子レンジでチンする湯たんぽを抱っこしていましたが、どうにも寒くて寒くて、、、、



 途中で何度も何枚も写真を撮りました。
 もうすぐポチくんの肉体がこの世に存在しなくなると思うと、たくさん写真を撮っておきたかったのです。




 タオルをめくって全身の写真も撮りました。
 可愛いお尻も後ろ足もこれで見おさめ。
 ポチ婆は、ポチくんのお尻が大好きでした。
 何もかも、どこも愛おしい。
 何て可愛らしい姿でこの世に産まれて来たのでしょう。



 病院を出る時から少し目が開いていました。
 時々眼球が少し動くんです。
 周りの肉が硬直するにつれてひきつられるのかも知れません。それはわかっているのですが、どうしても生きているような錯覚に陥ります。



 朝7時を過ぎると外が明るくなってきたのでカーテンを開けました。
 9時を過ぎると足元に少し光が当たってきました。


 光が入るところのレースのカーテンを開けてあげました。
 ポチくんに日が当っています。
 いつも日が当たるところにマットを置いてあげると喜んで座っていました。
 今もきっと喜んでいると思います。
 いつものように寝ているだけのように思えるので、ポチ父もいつものようにソファに寝そべってみました。こうやってポチ父はソファの上から手をおろしてポチくんをコチョコチョしていました。
 ポチくんはご近所の方たちにとても可愛がられていました。子供達は小さな時からポチくんとお友達でしたし、お散歩の後、ガレージで遊んでいる時に近所の方が通りかかると、いつもおもちゃを投げて遊んでもらっていました。皆さんが井戸端会議をしている時に通りかかると、ポチくんは必ず一人ずつ全員に挨拶をしていましたから、きっとお空に昇って行く前に挨拶をしたいでしょう。また、可愛がって下さった方達もポチくんが亡くなったことを知らずに空へ昇らせてしまうと残念がるだろうと思いました。
 暗いうちに我が家の並びとお向かいの並びで親しくして下さった方のお家にメモを入れておきました。
 すると8時頃から次々と皆さんがポチくんに会いに来て下さいました。
 ももちゃんのお母さん、お父さん、お向かいのおばさんが先ず最初にいらっしゃいました。
 いつもいつも会うたびに声をかけて頂きました。


 小さい時から良く遊んでくれたMちゃん、Kくんが会いに来てくれました。
 Mちゃんは大きくなってからもポチくんがいると必ず撫でてくれて「あ~ポチくんには癒されるぅ」と言っていました。
 後でママから聞いたのですが、Mちゃんはポチくんが亡くなってショックを受けていたそうです。

 ご近所さんの中でもとりわけポチくんが大好きなSさんのおばさんがいらして下さいました。Sさんはいつも「ポっくんは、コーギーの中で一番可愛い。道で他のコーギーとすれ違うと、いつもポっくんの勝ち!っておばさんは思ってるのよ」って言っていました。足が悪くなる前には良くおもちゃを投げてもらってました。
 この後、Sさんのご主人も来て下さいました。良く人間のお菓子をポチくんにくれたので、それでおばさんに叱られてたっけ。


 Kさんのお母さんと娘のRちゃん、Mちゃんも来てくれました。Rちゃんはわんこが怖くて触れないのですが、ポチくんはRちゃんが唯一触れるわんこです。Mちゃんもお父さんもポチくんのことが大好きでとても可愛がってくれました。お母さんが来られないお父さんの分まで撫でてくれました。
 昨年一足先に虹の橋へと旅立ったしょうたくんのお母さんがお花を持って来て下さいました。お花屋さんが開店するのを待ってお花を買ってきて下さったのです。
 ゴミ捨ての帰りにポチくんがガレージにいると、いつもおもちゃを投げてくれました。
 「ポチくん、しょうたと仲良くしなさいよ」と言いました。
 しょうたくんは若い頃はここらへんの番長でした。ポチくんはしょうたくんのお家の前を通る時はとても怖がって全速力で走り抜けていました。そのうちしょうたくんが年をとると怖くなくなったのか走らなくてもゆっくりお家の前を通ることができるようになりました。最後の頃は、しょうたくんがご飯を食べている時にお皿をのぞこうとしたくらいです。
 ポチくん、しょうたくんは向こうでパワーを回復して昔のように強くなってるだろうから油断しちゃいけませんよ。しょうたくんと出会ったら目を逸らしてチャタくんの後ろに隠れるんですよ。
 みんなに可愛がられて本当に幸せな子だったと思います。
 「いつもこちらが癒してもらってありがとう」とみなさんが言って下さいました。
 お留守だった方を除いてみなさんとご挨拶できて良かったです。


 毎日、ポチ父がターシャの日めくりをめくってくれます。
 ポチ父が今日のひめくりが偶然にも我が家の出来事に関連する内容だったことに気づきました。





 かかりつけの動物病院に電話をして動物霊苑を紹介してもらいました。そのうち、我が家から近いところでお葬式をすることにしました。
 お昼に出発します。

 Sさんが再度いらして「お見送りしたいから、出る時に声をかけて」と言って下さいました。
  1月6日(水)夜   3回目の呼び出し               1月12日更新
 輸血のことは、考えてみれば当然動物にも行われる治療ですが、こういうことになるまでは考えたことがありませんでしたし、実際にどうやっているのか知りませんでした。
 そういえば、朝、廊下で待っている時にたくさんペットの写真が貼ってありました。全ての写真に「感謝状」と書かれてあり、それを読んで献血してくれたペットの写真を貼っていることが分かりました。その時は「そうなんだぁ」と思っただけです。何も気にとめませんでした。
 しかし、結果はどうであろうと、ポチくんは輸血で持ち直しました。
 センターを出る前に先生に「血液をくれたわんちゃんにお礼を伝えておいて下さいね」とお伝えしました。
 本当に、本当にありがたい。この先、自分達でどれだけの血液を集めることができるのかわからないけれど、とにかくセンターにいるわんちゃんのおかげでポチくんは命をつなぐことができました。
 輸血をすれば当然それだけ費用を別に取られる訳ですが、お金を払ったから当たり前ではありません。生きているわんちゃんの体の一部を頂くのですから、お金に換えられない貴重なものです。
 また別の形で動物の輸血についてご紹介しますので、その時はみなさんにぜひ読んで頂きたいと思います。
 ちょうど「ポチくんクラブ」のトップページで、年賀状の画像を外してそこに「緊急のお願い」と書いた時、電話がなりました。夜9時半頃でした。
 もう話を聞くまでもありません。なった瞬間に先生の話が想像できました。
 「また出血が起きて、今緊急の処置をしていますから、こちらに来て下さい。20分で来られますよね?」と言われました。最後の「20分で来られますよね?」と言う言葉が忘れられません。一刻も争う事態であると思いました。
 ポチ父はお風呂に入っていなくて良かった。どんなにすぐに着替えても何分かはかかります。
 電気毛布の電源を切り、お布団を温めていた布団乾燥機のスイッチを切り、お風呂も切り、上着を着て荷物を持って、、、、と言うだけでやはりそれなりの時間がかかります。
 ポチ父がちゃんと運転できるかどうか心配だったのでタクシーを呼ぼうかと聞いたのですが、ポチ父は自分で運転すると言いました。ポチ父は「タクシーを呼んでいたら間に合わない」と言うのです。それは正解でした。
 夜で道が空いていたので10分ちょっとでセンターに着きました。インターフォンを押すとすぐに入り口を開けてくれて処置室に通してもらいました。
 輸血後回復してケージに戻ったはずなのに、さっきと同じ処置ベッドにポチくんが寝ていました。意識はありません。舌は出されていて何か器具でとめられていました。人工呼吸器で呼吸をさせていました。
 「眼振が始まったので脳で出血したのだと思います。」と言う話でした。
 私達がベッドのきわに行った直後、ポチくんは顔をひきつらせて首を2回もたげました。痙攣やひきつけのような感じで、とても苦しそうな表情です。
 その直後、先生が「非常に厳しい状況ではありますが、、、」と言いながら心臓マッサージを始めました。
 ポチ父は「もういいです」と止めました。
 すぐに口から管(人工呼吸器?)も抜かれ、その瞬間、ポチくんの息も脈も止まりました。
 午後10時、ポチくんの魂とさよならしました。

 私達がポチくんの横に着いてから息を引き取るまで1分あったでしょうか。
 私達はポチくんが息を引き取る瞬間を見取れましたが、彼は意識がなかったのでお父さんとお母さんが来たことには気づかなかったでしょう。
 息を引き取る前に到着したと言うよりは、私達が到着するまで先生が薬と人工呼吸器でもたせてくれていただけだと思います。もうポチくんは自力で生命を維持できる状態ではなかったのではないでしょうか。先生が「20分で来られますよね?」と言われたのは、「飼い主さんが来るまで20分は持たせなければ」と言う先生の気持ちがそう言わせたのだと思います。

 どんなにがんばれと言っても無理、どんなに名前を呼んでも二度と帰ってこない。言葉で言い表せない悲しみをポチ母は産まれて初めて経験しました。ポチ父は20年以上前にお母さんを亡くしているのでこんな経験は二度目です。

 その後、ポチくんはきれいにしてもらい、チューリップの花を手に抱いてタオルに巻かれて診察室にやってきました。写真は、ポチ父が支払いをしている間に撮ったものです。まだ温たかかったです。
 この写真を撮った2時間半前は首を持ち上げていました。
 センター長と副センター長が駐車場まで見送ってくれました。
 後部座席に座った私の膝の上にポチくんを置いて下さいました。
 「お力になれなくて申し訳ありません」とおっしゃいました。
 そして車が見えなくなるまで見送って下さいました。
 ポチくんはズンと重くなっていました。死ぬと重くなるのでしょうが、その前に輸液がたくさん入っていますからその重みも幾分あるのかも知れません。
 ポチ父もポチ母も「お家に帰ろうね」と声をかけました。
 もう手が冷たくなってきました。さっきは温かかったのに。なぜだかポチ母の手はポカポカだったので温めてあげました。手はまだ生きているかのようにブラブラと動きます。
 体はまだ温かい、お顔に頬ずりをすると柔らかい毛が心地良い。さすっていれば生き返るのではないかと何度も思いました。
 車の中は暗くてポチくんの姿は良く見えません。ただ体をさすり、顔に頬ずりをし、ポチくんのいつもの柔らかい感触に浸っていました。
  1月6日(水)夕方   2回目の呼び出し               1月12日更新
 遅い昼食を食べ終えた直後だったでしょうか。
 午後4時過ぎにまたがんセンターから電話がかかってきました。
 「出血が続いているようなので、今、緊急輸血を始めました。病院に来てもらえませんか」と言われました。
 大急ぎで車に乗りました。ポチ父がちゃんと運転できるかどうか心配でした。
 さすがに切羽詰まった危機感を感じました。
 涙が止まりませんでした。
 お盆のような大きなオレンジ色の太陽がビルの谷間に沈もうとしているところでした。それを見て、何かを暗示しているような気がして、、、、
 とにかく悪い予感は払拭して、ひたすら「ポチくん、元気になってお家に帰っておやつを食べようね。」「お家でおやつを食べようね」と頭の中で繰り返しポチくんに伝えていました。彼を引き戻すには食べ物で釣るのが一番効果的だと思いました。
 4時半頃にはがんセンターに着いたと思います。
 すぐに処置室に通されました。
 「今晩もつかどうか」と言われました。

 ポチくんは中央の処置ベッドの上に横たわり、マズルは酸素マスクの中に入っていました。
 色んなチューブがつながれていました。
 可愛らしい毛布がかけられていました。良く見ると下には温熱マットが敷いてありました。
 意識はありません。最初は脈も触れなくなったそうです。体温が35℃まで低下していました。
 センター長が「そうっとしておいて下さい」と言われました。出血を起こしているコブの部分を下にしてこれで圧迫させているそうです。私達に反応して体が動くと困ると言うことです。 




 ポチ母は引き続き「お家に帰っておやつを食べようね」と心の中でつぶやき続けました。ずっとずっと同じフレーズを繰り返しました。
 ポチ父もずっと何か言っていたと思います。
 すると、体温は徐々に上昇し、脈も血圧も血中酸素濃度も安定して来ました。

 午後6時を過ぎると酸素マスクが取れました。
 体温も36℃を超えました。
 



 そして、何と言うことでしょう、ポチくんが意識を戻し首を持ち上げるところまで回復したのです。
 センター長も「すみませんねぇ。びっくりさせてしまいましたね。もう大丈夫ですね」と言われました。
 やっぱりポチくんを引き戻すには食べ物が効果的だったとポチ母は思いました。おやつに釣られ、ポチ父の願いに引っ張られてこちらに戻ってきました。




 午後6時半過ぎには体温が36.8℃。
 センター長はもう少ししたら部屋(ケージ)に戻ろうと言われました。
 午後7時、体温は37℃を超えました。



 ポチくんが動こうとするので、先生や私達で「伏せ」「ねんね」などと声をかけておとなしくさせました。
 「このまま落ち着いていれば明日の午前に採血をし、貧血と凝固系を調べる。できれば細胞診までやりたい」と言う副センター長のお話。今晩、緊急の場合は保存血を輸血するかも知れないと言う話も聞いたのですが、「明日の午前に採血、できれば細胞診まで」と言う話が強く頭に残ったので、私達は当たり前のようにポチくんにも「明日」が来るとすっかり思い込んでしまいました。
 ポチ母は「輸血でDICは改善するのでしょうか?」と聞いたところ、副センター長は「輸血で貧血は改善しますが、DICはしこりが存在する限り改善しません。DICを改善させるため(出血を起こしているしこりを取るため)には安定した量の血液が必要です」と言われました。とにかく、献血の問題を今夜中に何とかせねば、と思いました。
 
 面会時間は午後7時までなのですが、7時半まで居させてもらえました。
 診察室を通って待合室に出て帰ろうとした時、やっぱりもう一度処置室に戻ってポチくんの写真を撮りたいと思いました。動いていたので動画にしました。でも、先生達も待っているのでほんの一瞬で終わり。こんな時、気の済むまで写真を撮らせて下さいます。早く出て行って欲しいそぶりは全く見せません。本当に温かい対応。
 帰りかけていたところで処置室に戻って画像を撮ったのは、これも虫の知らせだったのかも知れません。でも、ほんの一瞬しか撮らなかったのは、「また後で撮れる」と言う希望の方が大きかったからだと思います。生きているポチくんを収めた画像はこれが最後でした。

 「明日」が当たり前のように来ると思い込んでいましたが、当然のこと、ポチくんの命はそんなに長くは持たないと言うことも十分認識していました。でも、この輸血後の回復ぶりを見てしまうと、余命が数日、もしかして数週間、ひょっとして上手く乗り越えれば月単位くらいの長さかも、と思えたのです。
 後でポチ父も言っていたのですが、この時帰らずに駐車場で待機していれば良かったと思いました。確かに、結末がわかっているのならそうしたと思います。
 でもセンターを出た時の私達は、明日以降の血液のことで頭がいっぱいでした。早く帰宅して献血に協力してもらえる人を探さねば。とにかく十分量の血液を確保しないとコブは取れない、コブが取れない限り死に直結するDICを改善することはできない。
 今からでは個人のお家に回るのは時間的に無理、できるとすればホームページなどネットでお願いするしかない。だけど、これから時間が経つにつれて夜遅くなるので、ホームページを見てくれる人がどんどん少なくなる、とにかく早くアップせねば。あせりました。
 ポチくんの現状をホームページのトップページに載せ、多くの人に見てもらえるように知り合いにメールを出して、みんなのホームページやブログにポチくんの現状を載せてもらうかポチくんクラブをリンクしてもらうようにしようと考えました。あと、ミクシィの日記にも書いて、ヤフーのブログにも載せよう。
 大急ぎで夕飯を済ませ後片付けは放置して、メールを出す人のリストも作り、ホームページやブログに書く文面も考えました。直接「血液を下さい」とは言えませんから、多くの人に窮状を知ってもらって、自ら「献血します」と言ってもらうのを待つことにしました。ダメ元です。ダメだったら仕方がない。でも何もしないで諦めるなんてできない。やるだけやらないと、、、、
 早くせねば、早くせねば。あせるばかり。
 メールを出したところで、みんながすぐに読んでくれる訳ではない。遅くなればなるほどメールを今日中に見てくれる人が少なくなる。メールを読んでくれたところで、その方のホームページにこのことを書いてもらう時間があるかどうか、、、、明日の朝になったらみんなお仕事に行ってしまうので、ポチくんのことを知ったところで、みなさん自身何もネットでできなくなる、、、、、早くせねば。早くせねば。夢の中で一生懸命走っているのに、一向に前に進まないような感じでした。
 ようやく9時頃、パソコンに向かってポチくんクラブのトップページに「緊急のお願い」を書き始めました。
 ポチ父には先にお風呂に入ってもらって、交替で私がお風呂に入り、お風呂から出て作業を進めようと考えていました。
 お風呂に入ってって言ったのにポチ父は会社の人にお知らせするための資料をコピーしていてまだお風呂に入っていませんでした。それが返って良かったのです。
 だいたい、こんな時にお風呂に入っている場合ではないのに、お風呂を沸かしていたバカなポチ母。頭が回っていなかったのですね。
  1月6日(水)午後   1回目の呼び出し               1月12日更新
 ポチくんを検査のためにがんセンターに預けた後、そのままポチ父にポチ母の職場まで送ってもらいました。
 翌日病院から戻ったら、ポチくんは今までのように元気ではないかも知れないし、今後はどんどん状態が悪くなっていくかも知れないので、今日仕事をして買い物も済ませておけば、ポチくんが家に戻ってからポチ母はしばらくどこへも出かけずにずっとそばにいてあげられると思いました。
 ポチ母の仕事は週に1回だけ都合の良い時に行っています。職場の人に事情を話してその日は帳簿にハンコだけ押して仕事をしたことにしてすぐに帰らせてもらいました。その帰り道にスーパーに寄って帰宅しました。
 買い物の荷物を片づけるやいなや、午後1時40分頃、病院から電話がかかってきました。
 何てことでしょう。電話の調子が悪く良く聞こえません。聞きもらしがあったかも知れませんが、「血液の凝固異常が重度、しこりの部分の出血が続いているようで貧血も進行しているので輸血が必要になるかも知れない。確認したいことがいくつかあるので病院に来てもらえないか」と言うような内容だったと思います。

 副センター長から血液検査の結果について説明がありました。
 凝固異常と貧血は、かかりつけの動物病院で検査した時より進んでいました。
 細かい項目の数値について説明がありました。
 この検査の結果から、「しこりからの出血が続いているので、体の至るところで小さな血栓ができて、それにより血液の中の凝固因子が消費され、出血しやすい状態になっている」と言う話を聞いた時、ある名前が頭に浮かびました。でもフルネームを思い出せない、何だっけ、それって何て言うんだっけ?「それって播種性、、なんたらって言う状態ですか?」って聞いたら、「そうです。播種性血管内凝固症候群、DICと言います。」と聞いて、ガツ~ン。
 聞いたことがある、これに至ると非常に危険な状態だと言うことを知っていたのですが、この時「播種性血管内凝固症候群に移行しつつあります」とか「傾向」と言う表現でした。「しつつある」と言う表現、つまり自分に都合の良い表現を都合良く解釈してしまいました。「そうか、危ないけれど、まだそれほど進行していないんだ」って勝手に思ってしまいました。
 播種性とは「至るところ」と言う意味。播種性血管内凝固症候群とは? ポチくんの場合、その原因はこぶです。そこでずっと出血を続けているので体が血を固めよう固めようとする方向へ進んでいきます。すると全身の血管内の至るところで小さな血栓が発生します。無数の血栓が発生するのでこれにより血液中の凝固因子が消費されます。その結果として凝固因子が不足し、全身で出血しやすい状態になります。また小さな血栓がたくさんできるわけですから、色んなところの小さな血管が詰まってこれにより多臓器不全にも至る可能性があります。要するに本格的なDICに至れば死に直結する状態です。
 頭が混乱している状態だったので、話が飛んでしまいました。
 気が付くと、何とポチくんのコブが破裂していたと言う話になっていました。
 午前の触診の時、センター長がポチくんの大きなコブを触って「柔らかいなぁ」と言ったのは、実はコブの中でずっと出血が続いていて血液が大量にたまっていたからでした。それが破裂して体内で大出血を起こしたのです。
 検査の途中で、コブを触った感じが朝と違い、コブの位置もだれんと下に垂れ下がっていたそうです。それで破裂に気が付いたとか。
 そこで今後輸血が必要になるかも知れないと言われました。凝固因子の入っている血漿成分だけを入れるのか、あるいは血球まで入れるのか、その時にならないとわからないのですが、輸血についての説明がありました。
 輸血は、それが必要になった子には1回分(200ml)はセンターにある分を入れらるようにしてありますが、それ以上必要になった場合はなるべく飼い主さんの方で手配してもらいたいと言う話でした。そのために献血してもらえるわんちゃんの条件などを教えてもらいました。条件で絞ると知っているわんちゃんには該当する子が思い当たりません。もし思い当たったとしても、わんちゃんの血液を下さいと言えるかどうか、、、、血液が合うかどうかを調べる検査に来てもらわなければなりません。合致した場合、輸血が必要な時に再度来てもらわなければなりません。何よりも困ったことは血を抜かせてもらう時にわんちゃんに辛い思いをさせることです。首の血管から抜かせてもらいますから、飼い主さんがどんな思いをするか。
 こんな時、わんこ同士の付き合いの大切さを痛感しました。
 後でポチ父と話したのですが、ポチくんが小さい時はほとんど毎週末に所沢の航空記念公園に行ってわんこが集まるところで遊ばせていました。ポチくんはわんこの集団の中には入って行けない子でしたが、わんこを介して飼い主同士が仲良くなっていました。今もそれを続けていれば、頼めるわんちゃんがいたかも知れません。

 ポチくんの今の状態の説明と輸血の説明にかなりの時間を割いて頂きました。
 ポチくんが非常に出血しやすい状態であるので、針を刺したり組織を切ったりと言う検査ができない、今後の状態によって血漿の輸注か輸血を行う、その場合にはまた連絡をすると言うことで、最後にポチくんに会わせてもらいました。
 診察室の奥に処置室があり、その奥にケージがありました。
 ポチくんはぐったりしていました。ここに来た時と全く違う状態です。
 それでも意識はあり、私達がケージの前に行った時には少し首をもたげた記憶があります。
 もう少し動いていたような記憶があるのですが、そこで撮った写真(下の6枚)は全く体位を変えていません。
 ポチくんに会った時には悪い状態にあると認識はしていましたが、今すぐどうにかなると言う切羽詰まった危機感は感じていませんでした。
 しかし、こうして写真を見るとやっぱりそういう危機的雰囲気を感じられます。写真ではそう感じられるのに、どうしてあの時実際にポチくんを見て「まだ大丈夫」と思ったのか? わかりません。良く覚えていません。
 本犬が辛い時に飼い主は泣いてはダメ、明るい声で本犬が喜ぶような言葉(褒め言葉)をかけなければならないと考えて涙をこらえて「良い子だね、ポチくん。がんばろうね」となるべく優しい明るい声で言い続けていたことだけは覚えています。
 すぐに出されることなく、こちらが納得するまで居させてもらえました。
 その後、私達は帰宅しました。家に着いたのはいったい何時頃だったのかな? 呼び出されたのが1時40分。向こうに着いたのはおそらく2時頃。帰宅したのは3時半頃だったでしょうか?
 こんな時間でもさすがにお腹は空いていませんでした。
 急いで昼食を取り、食事が終わったら献血のことをどうするか話し合うつもりでいました。  
  1月6日(水)午前   診察前と診察中                     1月11日更新
 6日と7日に起きたことはとても辛いことでしたが、何一つ忘れたくありません。細かな記憶も忘れないうちに書き記したいと思います。これは我が家の記録です。関心のない方はどうぞ読み飛ばして下さい。
 しかし、私達と同じような状況に立った方には、私達と同じ失敗を起こさないためのヒントがここにあるかも知れません。


 ポチ母は前日(5日)の夜遅くにお風呂に入り、それから当日朝の4時までかけて2日~5日の日誌を更新しました。
 みなさんが検査結果を心配して下さっているので、結果が出たらすぐに日誌に書きたいと思っていたからです。
 もちろん、「大したことなかった」と書けると良いなと思っていました。]
 しかし、病院に連れて行くまでに徹夜してでも日誌の更新を全て済ませておこうと考えたのは、これも何か虫の知らせだったのかも知れません。

 当日の朝は絶食させて行くように言われていました。当然、ポチくんはキッチンに入ってきてポチ母の顔を見上げていました。もちろんポチくんの気持ちは良くわかります。でも、ご飯を上げることはできないの、お母さんは辛かった。そして、結果的に検査もろくにすることもできず逝かせてしまうのなら、この時、ズルをしてでも何か食べさせてやれば良かった。あんなに食いしん坊のポチくんにご飯を我慢させるのはとっても酷なこと。結局、この日は何も口に入れることなく逝かせてしまったのでした。このことはどうしようもありませんでしたが、思い返すとかなり辛かったです。はぁ~、食べさせてあげたかった。

 10時半の予約でした。30分で行ける距離でしたが、余裕をもって1時間前に出発しました。実際には20分で到着しました。こんな近くに高度医療を受けられる病院があって良かったと思いました。
 受付をするととてもにこやかで優しい口調の女性スタッフが問診票に記入するように言われました。後からわかったのですが、この方はカウンセリング部の方でした。
 問診票には、「いつもの元気を10とすれば今日の元気はどれくらいですか?」と言う質問がありました。食欲についても同様の質問がありました。もちろん、どちらも10/10(いつもと同じ)と書きました。

 待合室は比較的混んでいました。問診票への記入を終えてから結構待ちました。到着したのが早過ぎたのです。
 年末に買った小さいデジカメを持って行っていたので、待合室のポチくんを撮影。
 後日、この時撮った写真を見て初めて気付きました。ポチくんはとてもおびえた不安げな表情をしているのです。その時は全く気付いてやれませんでした。写真ばっかり撮ってポチくんの不安に気付けなかった、また後悔、後悔。
 カメラを持って行ったのは、、、、、
 「大したことないと思いつつも、ポチくんに残された時間はそんなに長くないかも」と言う不安がいつもあったからです。いなくなってしまえばポチくんを見ることはできない。いる間にたくさんたくさんポチくんを残しておきたい、そんな気持ちからカメラを持って行ったのでした。






 首輪にはチャタ家から頂いたお守りをつけていました。
(狂犬病注射済み票)は前年度の物ですが、ちゃんと獣医さんのところで注射しました。市役所に行って票をもらってこなかっただけ)
 どの写真も目がとても不安そうです。
 ポチ父によると他のわんちゃんが寄って来た時にお話ししたみたいだとのこと。
 ここは重症の子ばかりが来る病院。みんな具合が悪そうだし、ここは何だか変なところと感じたのではないでしょうか。
 そして、もしかしてこの段階で少し具合が悪かったのかも知れません。
 診察室に呼ばれました。ポチくんはすぐに出ようとしました。下の写真でポチくんが向いている方向に出口があります。
 キャミック(CT検査をやってもらったところ)では、女性の獣医さんに連れられてスタスタと検査室に入っていったのですよ。今回も若くてきれいでとても優しそうな女性の獣医さんでした。絶対にポチくんのタイプだと思うのですが、それでもポチくんは診察室から出ようとしました。
 おそらく獣医さんが合う合わないの話ではなく、上の写真のようにとても不安に感じていたポチくんはそこから逃げたかったのだと思うのです。

 今回の検査の流れを説明して頂きました。
 診断(細胞診、病理検査)、転移のチェック(レントゲンやCTなど)、全身のチェック(血液・尿検査、凝固検査、レントゲンや超音波による腹部の検査)。
 病理検査だけは結果が出るのに1週間以上かかる、もしかして1回で済まない場合もあると言う説明でした。

 結果は出ていませんが、悪性腫瘍だった場合の治療のオプションも簡単に説明して頂きました。
 積極的治療(外科手術、放射線治療、化学療法)、と緩和的治療(積極的な治療を行わないで、残りの時間を出来るだけ楽に過ごせるようにする方法)を説明して頂きました。
 先生にはお話していませんが、ここに来るまでに治療については考えが決まっていました。かなりの確率で大きな効果が期待ができる場合は、ポチくんに多少辛い思いをさせても積極的治療を考える余地はありますが、一縷の望みをかけて大ばくちをうち、ポチくんに大きな負担を強いるようなことはできません。
 積極的治療はいずれもポチくんに大きな負担をかけます。
 CT検査の結果から外科手術をするとなると大掛かりになりそうです。高齢のポチくんにそんな負担をかける気はありません。もちろん、取り切れないと判断されれば外科手術の選択肢はなくなるでしょう。
 放射線治療も何クールもやらなくちゃいけないし、これ自体吐き気などの強い副作用があってポチくんに辛い思いをさせます。何よりも毎回全身麻酔をかけなければなりません。
 化学療法も同様、そんな辛い治療はさせたくありません。

 説明と問診が終わったら、触診してもらいました。
 驚いたことに、かかりつけの動物病院から血液検査の結果ががんセンターの方に渡されていなかったのです。
 血液検査はキャミックで麻酔をかけられるかどうかを調べるためだけのものでしたし、がんセンターでも検査するのはわかっているので、渡さなくても良いと判断されたのでしょう。
 しかし、がんセンターでも検査するにしても経時変化を見るためには必要だと思います。私は前日、我が家が持っている血液検査の結果を持参しようかと思ったのですが、当然かかりつけの動物病院から送られているものだと思ったので持っていきませんでした。
 そこで私が覚えている血液検査の結果を口頭で説明しました。
 すると、スパっと「血管肉腫かもしれない」と言う病名が、、、、、、
 私の口頭説明だけでこの病名が出てきた、、、と言うことは、その血液検査の結果ってとっても重要だったんじゃないの?なのに、どうしてかかりつけの動物病院の先生はがんセンターに送ってくれなかったのでしょう?
 同じデータを見ても、それが重要でないと判断する獣医師、データを口頭でちょっと聞いただけで病名をスパっと頭に思い浮かべる獣医師。それぞれの先生の得意分野、専門分野の違いもありますし、先の日誌で記載したように一次診療と二次診療の領域の違いもあるので良い悪いの比較はできませんが、専門の病院にかかれるのなら、検査などの早い段階から受診した方が良いと思います。

 血管肉腫だと出血がなかなか止まらなくて非常に厳しい状況になると言われました。難しいなぁと思いつつも、今一つピンと実感できませんでした。
 この時はまだポチくんが普通に歩いていて前日までと同様に元気だと思い込んでいましたから、厳しい状況になるにしてもまだ先のことのような印象を受けました。

 この後、男性の先生が来られるのを診察室でまっていました。

 




 ポチ父を見つめるポチくん。





 ポチ母を見つめるポチくん。
 やっぱり目が不安げです。




 待っているうちにポチくんは寝てしまいました。
 今思えば、待ちくたびれて寝てしまったと言うより、具合が悪かったのかも知れません。




 ポチくんは再度診察室から逃げ出そうとしました。この椅子の下をこの方向で進めば、出口があります。
 男性の先生もとても優しそうな方でした。「血管肉腫かもしれない」と同じことを言われました。
 そして触診でこぶの周りを触られた時、先生が「あれ?柔らかいなぁ」と言われたのです。それがどういう意味なのかわかりませんでした。わからないどころか、ポチ母は「柔らかいと言うことは悪くないってことなんじゃないの?」とまで思い込んでしまったのです。
 この「柔らかい」の意味が後でわかることになります。

 1泊2日で検査することになり、翌日の夕方に迎えに来ることにして予約を入れました。
 そして最後に検査費用の見積もりを見せて頂きました。
 「何があっても不服は申し立てない」と言う内容の同意書にサインしました。
 診察室でポチくんを動物看護士さんにお預けする時、ポチくんはやっぱり診察室から逃げようとしました。最終的に渋々と中へ入っていきましたが、今思えばやはり様子がおかしかった。
 数年前の話ですが、大学病院で肩の手術をした時は、男性の先生でしたが「ポチくん、さぁ行こうか」って言われると、素直にスタスタと先生に着いて中に入って行ったのですよ。そんなポチくんが今回は逃げようとしたのです。
 そして、ポチくんを預けて帰る時、着けていた首輪とリードを病院の物と交換させられました。すなわち、せっかく着けて行ったお守りを取ることになってしまったのです。病院の首輪に着けさせてもらおうかどうしようか考えましたが、また帰ってくる時にお守りを着けたまま忘れてきても面倒だし、もしかして拒否されるかもしれないし、、、と考えて、お守りを首輪に着けたまま持ち帰ったのでした。
 これでお守りの効果がなくなってしまったのかも知れません。
  高度医療施設受診の勧め                  1月11日更新
 日誌を更新する前に、もう一つ書いておきたいことがあります。
 ポチくんが6日に行った病院は「日本小動物医療センター」と言うところで、その中に「日本小動物がんセンター」があります。
 このがんセンターは癌専門の医療施設で高度医療(放射線治療を除く)を受けることができます。
 紹介が必要で飼い主が直接行っても診てもらえません。
 ポチくんはここのトップの先生とその下の先生に診て頂きました。
 受付の方から先生、動物看護士まで、スタッフの皆さんがとても親切で優しい口調でした。
 特に先生には獣医師としても人間的な面でもかなり信頼できる印象を持ちました。
 問診、検査の流れの説明、治療の種類、そして費用の面まで、かなりの時間を割いて丁寧に説明をして下さいますし、こちらの質問にも必ずちゃんと答えて下さいました。変な質問をしてもいらだったりする様子は全く見せません。極めて冷静で温かかったです。
 一番感じたことは、癌が専門なのでその専門領域に関しては、かなりレベルが高いことです。知識的にも技術的にもレベルはかなり高いと思いました。
 ポチくんのかかりつけの動物病院(複数の獣医さんがいる)もこれまで近所でいくつかかかった中で一番信頼できるところにしていましたが、やはりこういう難しい病気になった場合は、専門の病院の方が安心できると感じました。それは当たり前のことです。町の動物病院が悪くて専門の病院が良いと言う話ではありません。一次診療と二次診療と言うように、仕事の領域が違うからです。また一般の動物病院でも特定の領域に長けた先生はたくさんいますので、どんな病気でも専門の病院に行った方が良いと言う訳でもありません。
 しかし、一番困るのは自分ではわからないし、できないことを隠して適当にやってしまう獣医です。そしてもう一つ困るのは、はっきりわからないに何の根拠もなく勝手に何か判断をしてしまう獣医です。ポチくんの場合、かかりつけ動物病院で最初と2回目に診てくれた獣医さんが「急ぐ必要はない」と判断してしまいました。
 難しそうな病気になった場合、獣医さんが信用できない場合、何だか理由はわからないけれど飼い主が不安を感じる場合は、なるべく専門の医療施設を受診した方が良いのではないかと思います。かかりつけの獣医さんに遠慮する必要はありません。私達はどんな医療機関があるのかほとんど知らないのですから、自分の希望を述べて獣医さんから医療施設を紹介してもらえば良いと思います。
 また、自分ができない、わからない場合は、それに対応できる医療施設を、獣医さんの方から紹介してくれるのが普通だと思います。
 
 悪性の腫瘍が疑われる場合は、検査一つとっても非常に慎重にしなければならないことがわかりました。
 私は、早く細胞診や病理検査をやって白黒つけて欲しい、早く治療方針を決めたいと思って、このがんセンターに行きましたが、ポチくんの場合、細胞診や病理検査は簡単にはできないことがわかりました。
 出血をしていたので針を刺したり切ったりすること自体危険だったのですが、もし悪性腫瘍であった場合は針を刺したり切ったりすることで逆に刺激して癌の増殖を促進する危険性もあるそうです。
 もし悪性腫瘍だった場合を想定して、それを刺激しないように、何か所か針を刺したり、複数の場所の組織を取ったりすることは、結構特別な技術が必要なんじゃないかなと思いました。適当に組織を切ってしまうと、腫瘍の増殖を促進させてしまうこともあるし、検査のためにせっかく切ったのに有効な検査試料が得られないと言う「スカ」を食らうこともあります。検査で有効な試料も得られず、癌も悪化させてしまったと言うような最悪の事態は避けたいものです。
 検査自体が難しいのですから外科手術も同様で、腫瘍か非腫瘍か、腫瘍だった場合、良性か悪性か、はっきりわからないのに安易にメスを入れるのは危険だと言うこともわかりました。もし悪性だった場合、癌の根っこを取り残して癌を切除すると、そこからまた癌が増殖するし、増殖速度も加速する危険性があるそうです。
 それでスギ花粉や殺人犯の逃走の話を思い出しました。
 例えば人間がスギ花粉症で苦しむようになったのは、人間がスギをバッサバッサ伐採し続けた結果、スギが危機を感じて種の保存のため大量に花粉を出すようになったからだとか。
 また人間も死の恐怖を感じると生殖行動に走ることが多いそうです。例えば殺人犯が逃亡中、「捕まったら死刑になる」と思うと生殖行動に走ることがあるそうです。死ぬ前に子孫を残す、と言うのが本能なのでしょう。
 癌細胞も同じなのでしょうね。

 腫瘍が疑われる場合、検査の段階から専門の医療施設に行った方が安心なのではないかと思います。
 ポチくんが行ったこのがんセンターは所沢にありますが、他の地域にも同様の高度医療施設はあります。また大学病院もありましょう。
 費用については安くはありませんが、思ったほどかかりませんでした。また実際に検査や治療に入る前に費用の見積もりも出してくれますし、クレジットカードでの支払いもできます。

 またこのような医療施設は「愛犬を何としても助けたい」と言う強い気持ちを持って受診する飼い主さんが多いと思われます。それだけに万が一愛犬を失った悲しみは大きいはずです。そこのところもちゃんとケアしてくれます。
 ポチくんが逝ってしまった後、センターからカードやお花が届きました。また忘れ物を届けに担当の先生が自宅までわざわざ来て下さったのです。お家に上がってポチくんのお骨に手を合わせ、飾ってあった写真を見て下さいました。我が家は特に極端なケースだったので手厚くケアして下さったのでしょう。全ての飼い主さんに同じように対応されている訳ではないと思いますが、ここまでして頂かなくても、スタッフの対応はとても温かいものでした。先生達はポチくんが逝ってしまった時、本物の涙を流して下さいました。処置の最中も「何としても助けたい」と言う気持ちが伝わってきました。
 このセンターでの医療に関しては悔いが残りませんでした。
 しかしかかりつけの動物病院に対しては不満があります。それはまた後日記載します。
  虫の知らせ                              1月11日更新
 6日の日誌を書く前に、タイトルの話題について。

 虫の知らせ?(1)
 12月25日から26日に日付が変わって1時間後くらいに、先に更新した日誌を何気なく読み返していました。すると24日の日誌のポチくんの写真が透けて見えるような気がしたんです。他の日の日誌を見ても、節ちゃんの写真を見てもどれも普通に見えるのに、24日の日誌だけポチくんが透けて見えました。
 それで怖くなってチャタママさんにメールしてしまいました。チャタママさんはチャタくんの命日が近くなっているので、ポチくんのことで心配をかけてはいけないと思ったのですが、逆にチャタママさんならポチ母の不安を理解してもらえるのではないかと思ったんです。
 そして今、その問題の12月24日の日誌をもう一度見ると、普通に見えます。あれは何だったんだろう?

 虫の知らせ?(2)
 もし悪性腫瘍であった場合を考えて、これからは食事制限を解いて多めに食べさせてあげよう、おやつを増やしてあげよう、本犬が歩きたがる限りお散歩をさせてあげよう、楽しく幸せに過ごせるようにしてあげようと決めたことを12月27日の日誌に書きました。
 そう決めてからポチくんはお散歩に出るたびに今まで行ったことのない方向へ歩いていったり、毎日違うコースを歩いたりしていました。ポチ母が「自由に歩かせよう」と考えていたことがポチくんに伝わったからかもしれませんが、今思うと、もしかしてポチくん自身に虫の知らせがあったのではないでしょうか。
 動物が先のことを考えることはないと思いますが、「今のうちに色んなところに行っておこう」って思ってたんじゃないのかな?って思います。

 虫の知らせ?(3)
 年末に、なるべくポチくんを一人にしないようにしよう、ポチくんが夜寝静まるまで2階に長時間上がったままにならないようにしようと決めました。
 自分でそう決めたのに、ちょっと自分の約束を破りました。
 そして、ポチくんが逝ってしまう前日、5日の夜、自分の約束を大破りしました。長時間2階に上がりっきりになり、ずっとポチくんを一人にしていました。
 その間、ポチくんを一人にしていることがものすごく気になりました。何度も何度も「今、これを中断して下に降りなければ」と思ったのに、なぜポチ母はずっと2階にとどまったのでしょう。
 5日の夜はそんな感じ。
 そして6日は朝食の支度や片づけ、病院へ出かける準備で忙しく、ポチくんにかまってあげる時間はありませんでした。
 結局、そのままポチくんは逝ってしまったのです。
 前日(5日)の朝、ポチ小屋の近所で雪の上を楽しくお散歩しましたが、それっきり、ポチ母はポチくんとほとんど接触しないまま彼を逝かせてしまいました。
 そのことは大きな後悔です。悔やんで悔やんで自分を責めました。
 そして今思うと、一人でいるポチくんがとても気になってしかたなかったこと、それも虫の知らせだったような気がします。
 何か気になってしかたがない時は、もっと気にするべきでした。
 1月5日(火)午後   虚しい買い物
 


 朝の楽しいお散歩を終えてポチ小屋を後にし、埼玉の自宅に着いたのは午前11時前。
 チャタ家からカードとお守りが届いていました。
 チャタくんが毎年お参りしていた往馬大社のペットのお守りです。元日にシュリちゃんと一緒にお参りに行ってお願いして来て下さったそうです。
 どうもありがとうございました。



 午後、ホームセンターへ買い物に出かけました。
 ポチくんが頻繁におしっこをするのでトイレシーツがあっと言う間に減ってしまいます。特に、ポチ小屋へ行くとなぜだかおしっこの回数が著しく増えます。それで88枚入りを4袋も購入しました。これでしばらくは大丈夫だと思いました。
 その後、手芸品店へ行ってバイアステープとマジックテープを買ってきました。昨年、肩を自由に動かせないポチくんでも楽に着られるように3枚の洋服を脇開きリフォームしようと思いながら、とうとうやらずじまいでした。ポチくんが検査を終えて帰宅したら、ポチくんのそばで目をかけながら、洋服のリフォームをしようと考えました。
 パソコン作業は2階でやるのでポチくんから目を離さなくてはなりませんが、洋裁なら1階のリビングでもできます。
 下の写真がリフォームしたかった洋服です。
 たとえ健康でも平均寿命から考えると、ポチくんに訪れる冬はあと何回かしかありません。するとこれらの冬服を着られるのは何回もありませんから、早くリフォームせねばと昨年材料を買っていたのですが、いくら探しても見つかりませんでした。探すよりも再度買った方が早いと思い買い直しました。



 左の写真は上段のグレーの洋服を着たポチくんとシュリちゃんです。
 2008年10月にチャタ家がポチ小屋に遊びに来てくれた時に一緒に行ったクローネンベルク(ドイツ村)で撮った写真です。
 この洋服はチャタくんが着ていたものを形見に分けて下さいました。



 右の写真は上段の紺色の洋服を着たチャタくん、シュリちゃん(色違いの赤)、ポチくんです。
 両家で2006年10月に清里へ旅行に行った時、まきば公園で撮った写真です。
 この時はチャタくんも元気でした。
 ポチ母はこの洋服がとても気に入っています。フードが付いているのですが、野球帽の形をしてメチャメチャ可愛いのです。


 左の写真はけおさん(ミクシィのお友達)がちゃいくんとでぃるくんを連れてポチ小屋へ遊びに来て下さった時のものです。この後、けお家にはキラくん(柴犬)も加わりました。
 おソロで頂いたお洋服が上段右の赤紫のお洋服です。
 昨年、リフォームしなかった結果、けおさんから頂いたお洋服はとうとう着られず。チャタくんの形見は写真を撮った時、一度切り。野球帽の付いた紺色の洋服も清里での旅行の時のみ。
 今度こそ、本当にリフォームするつもりで材料を買ってきたのに。
 少なくともそれぞれあと数回は着られると思ったのに、、、、、
  1月5日(火)   一面真っ白




 今日は朝食後に帰りますが、その前にポチくんの散歩をするため6時半に起きました。
 外はまだ薄暗かったですが、一面真っ白。
 




 空にはまだ月が見えました。




 粉雪なので、歩くたびにキュッキュッと雪がなります。
 今日もポチくんの歩きたい方へ歩かせましたが、大外周りにもならず大8の字周りにもならず、いつもと違うコースだけれど短い距離で帰って来ることができました。





 ←共有地(公園)の池。




 やっぱり雪を食べてました。

 そしてとにかく雪の上を歩くのが楽しくてしかたないみたい。
 どんなに注意してもずっと走っていました。
 
 お散歩を終え、9時頃ポチ小屋を出発しました。
 昭和インターに乗る前、途中で車を降りて山の景色を撮りました。
 



 これまで事故が多かった交差点2ヶ所に信号機がつきました。
 午前11時前に自宅に着きました。
 チャタ家からお守りが届いていました。チャタくんが毎年お参りに行っていた神社でお祈りしてお守りを買ってきて下さいました。
 チャタママさんパパさん、ありがとうございました。

 自宅に帰ってから、かかりつけの動物病院から預かっていたCTの画像をコピーしました。その1枚が右の写真です。向かって右側がポチくんの左側。上が頭、下がお尻です。
 左側(向かって右)にかなり大きな腫瘤(コブのこと)が見られるのがわかるでしょうか。コブはろっ骨の間まで食い込んでいます。
 12月18日(金)にしこりを感じた時は大きめの梅干しサイズでした。
 27日の時点でこのコブのサイズは7.0×3.3×2.9cmでした。
 現在ではさらに大きくなっています。

 明日、腫瘍専門の病院に行ってきます。当日は絶食の指示が出ているので、針を刺して細胞を取るだけなのか、切開するのかわかりませんが、とにかく全身麻酔をかけるのは確かだと思われます。
 全てが明らかになるわけではないでしょうが、少なくともこのコブが良性のものか悪性のものかくらいはわかると思います。
 12月18日から20日近く。長かったです。早く病院に行きたかった。
 とにかく悪性でないことと無事に麻酔から覚めることを祈ります。
 チャタ家から頂いたお守りを首輪につけて行ってきます。 
  1月4日(月)   お向かいさんに大興奮
 もう三が日も過ぎました。
 今日から普通の朝食。
 久しぶりに生クリームや卵、たっぷりのバターが入ったリッチブレッドを焼きました。
 今日は午前に散歩しました。
 ちょうどDさん宅を通りかかった時にDさんから電話がかかりました。お家の中から私達を見て電話をかけてくれたのかと思ったら偶然だったようです。お家の前にいることを告げると、Dさんの奥さんが玄関から姿を現して、結局電話をかけながらお互いに見えるところで話をしたのでした。ノートンのダウンロードができないらしくSOSの電話でした。別荘地は高齢者が多くパソコンが出来る人は少ないので、トラブルが起きた時にはポチ父が頼りにされます。
 ポチくんをお家に連れ帰ってからDさん宅に行きました。
 Dさん宅に伺ったのはもう11時を過ぎていました。何とかダウンロードが出来た時にはもうお昼を過ぎていたので、コーヒーだけご馳走になって帰ってきました。いつもは3~4時間お邪魔してお話に夢中になってしまうのですが、さすがに今日は早々と引き上げ。少ししかお話できませんでしたが、やっぱり楽しいご夫婦でした。
 

 今日は3時にお向かいのおじさんとおばさんに遊びに来て頂きました。
 ここのところ、おばさんが用事でお家をあけることが多かったのですが、年末におじさんにお会いした時に事情をお話して、おばさんが帰って来た時にポチくんに会ってあげて欲しいとお伝えしておいたのです。


 ポチくんは大興奮することがわかっていたので最初はハウスさせていました。
 みんなでコーヒーを飲んでしばらくお話をした後、ポチくんを出してあげるとやっぱり大興奮。
 おばさんにもおじさんにも思いっきり甘えました。
 



 興奮を鎮めようと思って焼きリンゴを1切れあげました。
 食べてる時だけ静か。もちろん一瞬で食べてしまいますから、またワンワンうるさいうるさい。



 トラちゃん(年賀状に使ったトラのぬいぐるみ)を出したら静かになるかな?と思ったら、いきなりトラちゃんの股間に食らいつき。


 そしてさらにトラちゃんの首根っこに食らいつき(写真左)、前足でトラちゃんを抑えつけて耳を食いちぎろうとしたところで取り上げてしまいました。

 もう少し静かに遊べるかなと思ってチャタ家から頂いたおもちゃを出したところ、これまた大興奮。
 おばさんと引っ張り合いっこをして、「まぁ、ポチくん、強い強い」と褒められまくったので、さらにヒートアップ。
 エンドレスになりそうだったので、これまた取り上げ。
 お向かいさんとまた会えるのはしばらく先のことになりそうですが、次に会う時も元気でいれば、また遊んでもらえるよ、ポチくん。
 楽しい楽しい時間でした。



 お向かいさんが帰って行かれたのは4時。
 すぐに太陽が山に沈みました。



 ポチくんは和室の右奥にしまったトラちゃんとドッグフードの袋を狙っています。
 見えないところに隠したのですが、さっき見えたところの記憶が残っているようでいつまでも和室の前で張っていました。



 今日も散歩でたくさん歩いたのと、お向かいさんといっぱい遊んだため疲れたのでしょう。
 夕飯の後、窓際のマットの上でぐっすり寝ていました。

 そして早々にハウスでねんね。
 おやちゅみ、ポチくん。
 また明日ね。

 明日はとうとう帰る日ですよ。
 朝ごはんを食べたら帰るけれど、その前にお散歩しようね。
 6日に病院へ行ったら、もしかしたらその後はしばらくお散歩できないかも知れないから。
  1月3日(日)   今日も食欲旺盛、元気にお散歩





 今日も昼過ぎまでは箱根駅伝を見ていました。
 その間、ポチくんはリビングの窓際で気持ち良さそうに寝ていました。
 埼玉の自宅もこんなにたくさん日が当たれば、ポチくんはもっと健康的に過ごせるでしょうに。
 病気療養はこっちでしたいなぁ。

 駅伝が終わったらポチくんのお散歩。
 お天気が良くて空は真っ青。

 さぁ、今日はポチくんはどっちに歩くでしょうか?

 


 いつもと違う経路でゴルフ場脇の散歩道に入りました。

 好きに歩かせると、探検をしたいみたいで行ったことのない道を歩きたがります。
 普段、埼玉の自宅ではいつもの散歩コースを歩いていると、自動的に同じコースを歩くのに。



 ようやくプレーヤーがいなくなりました。
 この間は誰もいないと思ってゴルフコースに入ったら、カートがやってきてびっくりしました。今日は本当に誰もいませんでした。


 ポチくんは芝生の上が大好き。
 ぐいぐい引っ張ってどんどんゴルフ場の中へと入って行きます。

 どうせだから池まで下りてみました。
 そして記念撮影。


 グリーンの中には入らせませんでした。
 


 寒いから洋服を着せたのですが、雪の上を歩くとお腹が濡れるので泥除けエプロンを重ね着しました。ちょっとみっともないけれど、ポチくんは何を着ても可愛い。



 帰宅してしばらくすると、もう太陽の光はオレンジ色。
 木々の葉っぱが落ちて明るくなった森の中にオレンジ色の光が差し込みました。




 もう夕暮れです。




 夕飯を終えてコーヒータイム。
 ポチくんはテーブルの下、ポチ母の足元でデザート(おやつ)の時を待っています。

 待ちきれなくなると、今度は場所を移動してポチ父の足元でそのタイミングを伺っています(写真左下)。
 しかし待ちくたびれて寝てしまいました(写真右下)。


 またポチ母の方にやってきてテーブルの下からポチ母の顔をのぞき上げています。


 甘くなったポチ母から何種類かおやつをもらいました。





 なぜだか、お風呂に入ったポチ父に着いて行ったポチくん。


 矢印のところがこぶ。
 肩甲骨の下あたりの毛並みが左側だけ乱れているのがわかるでしょうか。



 おやちゅみ、ポチくん。
 また明日ね。

 明日もいっぱい食べて、たくさん歩こうね。
 夜、ポチ母はしぶんぎ座流星群(4日の未明にかけてピーク)を見るため、寝る前にしばらく外で夜空を観察しました。この日は月が明るく流れ星観察には条件が悪かったです。デッキではなく玄関側に椅子を置いて夜空を見上げました。するとポチ小屋の屋根で月が隠れて比較的見やすかったです。20分ほどの観察で流れ星が1つ見えました。
  1月2日(土)   雪と焼きりんご



 予定通り、5時起床、5時半出発で群馬県昭和村のポチ小屋へ向かいました。
 昭和インターを降りたら右の写真のように薄っすら雪が積もっていました。



 ポチ小屋に着いて早速薪ストーブをつけました。
 ポチ父が「ストーブの上でリンゴを焼いたら美味しい」と言う情報をネットで得ていたのでやってみました。ストーブの上に直接置くとすぐに焦げてしまうので、電子レンジで使う網のように幾分高さのある物の上に乗せた方が良いかも知れません。



 お節を食べ始める頃には箱根駅伝がスタートしていました。




 今年も黒豆が上手に煮えました。
 ポチ母は黒豆が子供の頃から大好きでした。
 子供の頃は黒豆の煮汁でご飯を食べることができましたが、さすがに年を取るとそれはできなくなりました。




 リビングの窓から見えるポチの庭です。



 お天気が良かったので雪が解ける前にポチくんをデッキに出してあげました。
 ポチくんは嬉しそうにデッキを行ったり来たり、、、
 ず~っと雪を食べていました。
 ポチくんは雪が大好きです。






 私達が箱根駅伝を見ている間、ポチくんは窓際のマットの上で気持ち良さそうに寝ていました。
 隣には、ポチ父も寝そべっています。

 箱根駅伝が終わったら、ポチくんのお散歩。
 今日も元気に歩きましたよ。
 本犬が歩きたい方へ自由に歩かせました。
 大外周りのコースに行く手前で曲がってくれたので、今日は大外周りにならないで済んだと思いきや、大8の字周りになりそうになったので、さすがに途中で引き返しました。

 写真左下は共有地(公園)の池です。氷の上に雪が積もっています。
 写真右下は、その池の氷の上の雪についた動物の足跡です。



 右の写真は雪道にはっきり残っていた肉球跡。
 多分、ポンちゃんかシロちゃんの足跡でしょう。




 Iさんの車の下に垂れていたつらら。



 お散歩から帰ってちゃんとおやつをあげたのに、3時にはキッチンの入り口でおやつを狙っているヤツが1匹。
 目つきが悪いのは、待ちくたびれて寝そうになっているから。


 2日までは1日2食なので夕飯は早くに終わり、夕方以降、まつたりして過ごしました。





 コーヒーを飲んでいると、テーブルの下からデザート(おやつ)を狙っているヤツがこれまた1匹。


 朝焼いたリンゴを食べてみました。
 結構焦げてしまいましたが、これもまた美味しかったです。パリパリのドライフルーツ状にするよりも少し水分を残して半生タイプにした方が美味しいと思います。
 甘みが濃縮されてかなり美味しい。ポチ父もポチ母も止まらなくなりました。
 ポチくんに焦げてないのを1切れあげたら、「もういっこ、もういっこ」としつこくポチ母にまとわりつきました。わんこには夢のような美味しさだったでしょう。


 おやちゅみ、ポチくん。
 また明日ね。


 今日もたくさん食べて、たくさん歩いたね。
 明日も元気に過ごそうね。
  1月1日(金)   お客様に大はしゃぎ
 明けましておめでとうございます。
 今年も「ポチくんクラブ」をよろしくお願いします。
 毎年元日にはポチ父の親戚が集まって(埼玉の自宅)一緒にお節を食べることになっています。
 今年はポチ父の姉一家が来られず、じいちゃんとおじさんと私達だけの高齢者の集いとなってしまいました。
 ポチくんはお客さんが大好きです。人間はみんな自分を可愛がってくれて遊んでくれるものと信じているからです。
 お客さんのいる和室に堂々と侵入する可能性があったため、入り口に突っ張り棒をして侵入を防ぎました。
 「中に入れて」「おじさん、あそぼ」と、ポチくんはず~っとワンワン吠えていました。
 右の写真の矢印はポチくんの肩下にできたこぶです。こんなに大きくなってしまいました。






 ドラちゃんを持ちだし、突っ張り棒越しに和室の中に投げ入れ、それを誰かに投げ返してもらうのを待っています。
 




 誰も相手にしてくれないと、ワンワン吠えて遊びを催促します。




 ポチ父がドラちゃんをコロっとポチくんの方へ転がしてくれました。
 この後、おじさんがドラちゃんの引っ張り合いっこをして遊んでくれました。
 もっともっとと、ポチくんの遊びはエンドレスです。
 でも、もうそろそろ終わりにしようね。
 もっともっと遊びたいポチくんは、また誰かが遊び相手をしてくれるのを待っていました。待ちくたびれて突っ張り棒にあごを乗っけたまま寝てしまいました。
 夕飯をみんなで一緒に食べた後、お客さんは帰ってしまいました。
 さて、大急ぎで後片付けをして、明日2日の早朝に出発して群馬県昭和村のポチ小屋へ行きます。
 前の日誌にも書きましたが、ポチくんの体調が悪くない限りできるだけポチ小屋へ行くことにしました。
 こんなに元気なので明日は大丈夫。
 箱根駅伝が始まる頃にはお節を食べ始めたいので、5時起き、5時半出発です。ポチ父とポチ母の方が大丈夫でないかも。